柳原の土手下、丁度
朝市へ行く八百屋さんが見つけて大騷ぎになり、係り合ひの町役人や、彌次馬まで加はつて搜した
ガラツ八の八五郎の
「寄るな/\見世物ぢやねエ」
そんな調子で露拂ひをするガラツ八の後ろから平次は
殺された清六は五十七八、小作りの
「辻斬でせうね、ひどい事をするぢやありませんか」
八五郎は横から覗きました。
「――」
平次は默つて首を振りました。こんな
「越前屋からは、まだ引取り手が來ませんよ。親分」
八五郎はそれが不平さうです。
「ツイ二十日前に、主人が
町役人は辯解がましく口を入れました。さう言へば越前屋の主人佐兵衞が急死したことは、平次もガラツ八も聽いて居りました。重なる不幸で、越前屋の混雜は思ひやられます。
「――その上店のこと萬端取仕切つてゐる
町役人は更に
「濡れ手拭を持つてゐるところを見ると、風呂の歸りでせうね。親分」
「
平次は首を
「何か變なことがあつたんですか、親分」
「變なことだらけだ」
「首を斬るのは穩かぢやねエ。辻斬でなくても、下手人は武家に決つてるやうなものですね」
と八五郎。
「穩かな人殺しといふのはないだらうが、――この下手人は武家ぢやないよ」
「へエ――」
「やつとうの心得などのない人間だ」
「何だつて、それぢや首を斬り落したんでせう」
「それが解れば一ぺんに下手人が擧がるよ」
「?」
「どうかしたら、一度
平次は早くも事件の祕密に觸れて行くのでした。
「親分、死骸の側に斯んな物が落ちて居たさうだが、何かの役に立ちますかえ」
懷中煙草が一つ――
「これは良いものが手に入つた。何處に落ちてゐたんだ?」
「死骸の下敷きになつてましたよ」
「文句はねエな。死骸の下に煙草入をねぢ込むやうな物好きな野郎はあるめえから」
ガラツ八は又
其の時、ドカドカと驅け付けて來たのは、豊島町一丁目の越前屋の人達です。
越前屋の同勢の中で頭立つたのは、これも主人の
その外
「店の支配人は居ないのか。――騷いでばかり居ちや調べが出來ない」
檢屍の同心
「へエ、支配人の吉三郎は大阪へ行つて居ります」
甥の金次は小腰を屈めます。
「番頭の清六が殺されて、支配人が留守だとすると、あとの取締りは誰がするのだ」
「私で御座います、へエ」
若くて少し道樂強さうな、金次に、越前屋の取締は出來るかどうか、同心苅田孫右衞門も
「支配人は何時歸るのだ」
「二十日前に主人佐兵衞が
「それでは、支配人の吉三郎が戻るまで、お前が代つて店の支配をすると思つて差支へはあるまいな」
「へエー」
「此處では調べもなるまい。一同の者は番所へ參れ、死骸も運んで來るがよい」
苅田孫右衞門が先に立つて、一同の者をツイ眼と鼻の間の、淺草橋番所へ引揚げました。
調べの結果、いろ/\の事が判つて行きます。主人佐兵衞が二十日前に死んだのは、明かに卒中で、これは越前屋の者が口を揃へて言ふことに疑ひもありません。
支配人の吉三郎は丁度三十の働き盛りで、評判の商賣熱心、伯父の代理で大阪へ行つたのは一と月前、ゆく/\越前屋の
吉三郎と金次は、どちらも佐兵衞の甥に相違ありませんが、年上の吉三郎は少し陰氣ですが、
「昨夜の事を
苅田孫右衞門は
「番頭の清六どんが、手拭を下げてブラリと出たのは、店が閉つてから――
金次は皆んなの顏を見乍ら、思ひ出し思ひ出し續けました。
「――清六どんの出たのは、皆んなよく存じて居ります。それつ切り一刻待つても歸らないので、表戸を閉めさせ、裏口を開けて寢てしまひました」
「不用心ぢやないか」
「でも、夜遊びなどする人ではなし、必ず歸ると思ひましたので」
「それつ切り歸らなかつたのだな」
「へエ。――昨夜歸らないのを、今朝になつて氣がつきました、店中で騷いでゐると、柳原で殺されてゐるといふお使ひで――」
「ところで
「なかつた筈で御座います」
「裏口を開けたまゝ寢てしまつたのなら、それから出た者があるかも知れないではないか。――風呂から歸りかけてゐる清六を途中から柳原へ
苅田孫右衞門はさすがに氣が付きます。
「番頭さんは長湯かえ」
錢形平次は不意に口を
「いえ早い方で、毎晩入るから。――俺のは
金次はぼんやり顏を擧げます。
「表戸を締めたのは、
「手代の巳之松と丁稚の三吉が締めました。間違ひは御座いません」
「その間お前は何をしてゐたんだ」
「帳場で帳合を見て居りました」
「誰も外へ出たものはないな」
「へエ」
平次は細かく店中の者の
「お辰さんは?」
「奧でお仕事をして居りました」
これも金次の證明ですが、手代、小僧、誰の顏にも、それに反對の色はありません。
「
「裏の四疊半――これは私の部屋だ。其處へ
居候浪人――岩根源左衞門は多勢の後ろから、首だけヒヨロ高い身體を浮かしました、恐ろしく
「お部屋へ引取つた時刻は?」
「
その部屋から、そつと拔出せるかどうか、それはいづれ後刻實地を調べる外はありません。
「ところで、此の煙草入は誰の物だ」
平次はズラリと並んだ越前屋の奉公人の鼻先へ、何の
「私の品で御座いますが」
金次の答へも、それに
「これが死骸の下から出て來たのはどういふわけだ」
「――」
恐ろしい緘默、重つ苦しい空氣の中で、越前屋の奉公人達は、お互の顏をそつと盜み見て居ります。
それから二日、越前屋の番頭殺しの下手人は、わけもなく擧がりさうで、一向眼鼻もつかなかつたのです。
越前屋は數萬兩の大身代で、その跡取は當然問題になるべき筈ですが、
浪人の岩根源左衞門も、佐兵衞の遠縁に當るさうで、遺言状がなくなれば、何かの利得にありつける一人ですが、當夜自分の部屋で早寢をしたといふに嘘はなく、店中の人の起きて居るうちは、人に姿を見られないやうに、外へ出ることなどは思ひも寄りません。
姪のお辰も當然疑ひの
「親分、助けて下さい」
「何だ。植木屋の松さんぢやないか。どうしたといふんだ」
それは近所に住んでゐる植木屋の松五郎といふ中年男、八五郎とはよく馬の合ふ正直者です。
「あつしは殺されさうなんで」
「何を言ふんだ、親の敵でも討たれる覺えがあるのか」
「冗談ぢやありませんよ」
「それとも人に狙はれるほど金でも入つたのか」
「それなら有難てえが。――相變らずのピイピイで」
「さア判らねえ。女出入りにしちや、松さん少し汚なく
八五郎は何處までも茶にして居るのです。
「兎も角、聞いて下さいよ、八五郎親分。
松五郎は首を
「成程そいつは物騷だ。――何か人に狙はれる覺えがあるのかい」
「ないこともありませんよ」
「何だい、そいつは?」
「越前屋の番頭さんが殺された一件で」
「フーム」
八五郎もツイ乘出しました。
「あつしはね、越前屋の亡くなつた旦那には可愛がられましたよ。お前は少し馬鹿だが正直で氣がおけなくて宜い――つて」
「成程ね」
「――で、番頭の清六さんとあつしを呼んで旦那の仰しやるには――私も段々取る年で、何時ぽつくり行かないものでもない。氣になるのは死んだ跡の越前屋の相續だ。口で言つたんぢや世間で信用しない者もあるだらうから、
「フーム、フーム」
「番頭の清六さんとあつしを手傳はせて、三人力を
「何處に隱したんだ」
「そいつは
「お前を殺して、どうしようと言ふのだらう――その遺言状を
「あつしを殺せば、遺言状の隱し場所は誰にも判りやしません。番頭さんは殺されてしまつたし、遺言状は其のまゝ
「腐つて了ふ」
「へエー」
「兎も角、そいつは俺一人の思案ぢや
八五郎はさすがに
「もう外へ出るのは御免ですよ。此處へ來るんだつて、容易のことぢやなかつたんで、誰か
「氣の弱いことを言ふな」
「でも、何處から白刄が飛出すか、わかつたものぢやありません」
「よし/\、それぢや俺だけ行つて來る。
「出ろつたつて出やしません」
「大丈夫だな」
八五郎は萬事を伯母に任せて、親分の錢形平次の家へ驅けつけました。
ガラツ八が平次をつれて引返して來たのは、それからほんの一刻の後。
「松五郎さんは直ぐ歸つたよ」
あれほど頼まれた伯母は、けろりとして
「えツ、あんなに言つて置いたのに、何だつて歸つたんだらう」
八五郎は
「だつて松さんの伜の――丑松とか言つたね。――あの子が迎へに來たんだよ」
「仕樣がないなア」
「松五郎の家といふのは遠くはあるまい。行つて見ようか、八」
平次は氣輕にさう言つてくれます。
其處から、松五郎の家までは、ほんの五六丁。
が、二人は行き着く前に、大變な事件にでつくはしてゐたのです。
「何だえ、八、あの人だかりは?」
柳原土手、提灯の行き交ふ中へ、平次とガラツ八は顏を持つて行きました。
「あ、大變ツ、松さんが」
それは思ひも寄らぬ事でした。植木屋の松五郎は後ろから胸のあたりを一と突きにされて、土手の上にこと切れ、血だらけの死骸に
「どうした、丑松」
それを抱き起すやうに、八五郎。
「わーん、ちやんが、ちやんが、親分」
小伜はもう他愛もありません。
いろ/\なだめて
素より人相も判らず、
盜られたものは一つもなく、急所の重傷に、松五郎は直ぐ息が絶えた樣子ですが、死に際にたつた一と言。
「ちやんは苦しさうに、石、石、――つて言つたよ。石を拾つて、惡者へ
丑松の言つたのはたつたこれだけ、何の事やら見當もつきません。曲者の姿で、
植木屋の松五郎殺しが、越前屋の番頭殺しと、脈を引いて居ることは判りますが、下手人は誰かといふことになると全く五里霧中です。
越前屋の金次にも、浪人の岩根源左衞門にも、完全な
わけても、金次は其の時分風呂へ行つたと判り、疑へば疑へる地位に立ちましたが、風呂屋の番臺で聽いても、確かに湯に入つて居り、それにわざ/\
「親分」
「何だ、八」
八五郎が飛込んで來たのはその翌る日の朝でした。
「三輪の萬七親分が、金次を擧げましたぜ」
「へエー」
「清六殺しの松五郎殺しですつて」
「そいつは變だな」
「大丈夫でせうか、親分」
「俺はそれより、浪人者の寢る四疊半に、拔け穴でもないか、それを搜した方が早いと思ふよ」
「あの浪人者が。――下手人ですか、親分」
「いや、さうらしくないから困るんだ」
「
「まさか、あの娘の手際ぢやあるまいよ」
平次はあまり取合ひません。
「それから、大阪へ支配人を迎へにやつた越前屋の使ひの者が今日歸つたさうですよ。丁度二十四日目だ。支配人の吉三郎は二日遲れて發つた筈だから早くて明日、遲ければ明後日江戸へ入るんですつて」
「フーム」
「越前屋から、今朝迎ひが出ました。川崎の
「行かう、八」
錢形平次はいきなり立ち上がりました。
「何處へ行くんで、――親分」
「川崎の萬年屋だ。大阪から歸つて來る支配人に會つて、いろ/\訊いて見たい」
「へエー」
ガラツ八には何が何やら判りませんが、斯うなると、錢形平次に
平次と八五郎が川崎の萬年屋に着いたのは、その日の晝少し過ぎ、越前屋の手代二三人は、お茶を呑んだり、外を覗いたり、落つかぬ樣子で支配人の着くのを待つて居ります。
「おや錢形の親分さん?」
けゞんな顏をする手代達に迎へられて、
「大師樣の歸り、ちよいと覗いて見ただけさ」
平次は事もなげですが、大師樣をだしに使ふのは
そのうちに、
「來ましたよ。あれ、向うから支配人さんが」
物見に出て居た小僧が飛んで來ました。それツと店先へ出ると、
「おや/\、わざ/\多勢で此處まで來て下すつたのか。それは御苦勞樣で」
越前屋の支配人吉三郎は、長途の旅に
「昨夜の泊りは何處でしたえ」
不意に聲を掛けたのは八五郎です。
「戸塚の
「その前の晩は?」
「大磯の虎屋で――あ、お前さんは、どなただえ」
吉三郎はまじ/\と八五郎の顏を見るのでした。それを横から取つて錢形の平次は、
「吉三郎さん、留守に大變な事が起つたよ。番頭の清六さんと植木屋の松五郎が殺されて、大旦那の遺言状がなくなる騷ぎさ」
「えツ」
「あつしは平次だ」
「錢形の親分さん。――さうでしたか、それは/\」
吉三郎は
それからは何事もなく、迎への店の人達と一緒に、少し足を痛めたらしい吉三郎は、平次を加へて、何彼と打語り乍ら、江戸へ入りました。
吉三郎が歸つて來ると、越前屋も何となく落着きを取戻して、日頃の
跡目の相續は、吉三郎か金次か、それともお辰か、いづれ親類が寄つて、亡くなつた佐兵衞の氣持を考へ合せた上、何とか決めることになりましたが、それにしても、せめて三十五日が濟んでからといふのが吉三郎の穩當な主張でした。
松五郎殺しの疑ひで、三輪の萬七に擧げられた金次は、三日經つても、四日經つても歸らず、そのまゝ清六松五郎殺しの下手人に決まるのではないかと思はれた七日目の晩、平次の家へ――。
「親分さん、どうぞ、金次さんを助けて下さい。あの人は人なんか殺すやうな惡い人ぢやありません。お願ひ――」
轉げ込んで來たのは、越前屋の
二十一になるといふのに、子供々々した美しさで、その純情さも、一と通りではない樣子です。
「お辰さんぢやないか。どうしたといふのだ、今頃――」
「今晩親類達が寄つて、私を吉三郎さんと一緒にして、越前屋の後を繼がせることに決めました。私はもう」
お辰は
「支配人の吉三郎さんは、それで、どうしたんだ」
「一應は辭退して居ましたが、皆んなで決めてしまつては、どうしやうもありません――吉三郎さんが跡を取つても構ひませんが、私は嫌で、嫌で」
「よし、判つた。俺もあの吉三郎といふ男は蟲が好かないよ。そのうちに何とかなるだらう、少し待つてくれ」
「でも私は、越前屋へは歸られません」
お辰がむづかつて居る眞つ最中でした。
「親分、判つた。――あゝ、
「八、御苦勞だつたな。どうだ樣子は?」
「川崎から眞つ直ぐに東海道を、大磯まで行きましたよ。吉三郎が前の晩泊つたといふ米田屋で訊いたが、その晩は講中の客で一杯、ふりの客は皆んな斷つてゐる」
「大磯の虎屋は?」
「こいつは大笑ひだ。大磯に虎屋なんて旅籠屋はないぜ。大磯に虎屋があるなら、
「そんな事だらうと思つたよ」
「すると、あの吉三郎の野郎が」
「うん、あの野郎だ。大阪から江戸まで十二日の旅だが、
「首を斬つたのは?」
「煙草入が證據にならなかつたら、浪人の岩根源左衞門に疑ひを向けるつもりだつたのさ」
「へエー」
「それから松五郎を
「へエー、どうしてそんな事がわかつたんです、親分」
「俺は小僧の三吉に頼んで、吉三郎の道中差を盜み出させたよ。よく拭いては居るが、
「へエー」
「さア行かう、これだけ證據が揃へば文句は言はせねえ。面倒な事が起つたら、道中の問屋場と人足を調べるまでの事だ。――松五郎を殺して引返し、川崎へ埃だらけになつて來た足取りを調べるだけでも澤山だ」
平次とガラツ八は、其足で直ぐ越前屋に飛込み、落着き拂つて親類會議のお
「太てえ野郎だ、神妙にせい」
いやもう八五郎の威勢のよかつたこと。
× × ×
金次は、間もなく許されて歸り、お辰は平次の
が、困つたことに、越前屋佐兵衞が、番頭の清六と、植木屋の松五郎に手傳はせて隱したといふ、大事な遺言状の行方がわからず、越前屋の跡を繼ぐ者もないまゝに、五日十日と過ぎました。
「親分、遺言状はどうしたでせう」
越前屋の家中の者を指圖して、家の中から土藏まで、床下天井の差別なく搜し拔いた八五郎は、毎日歸つて來ると
「待つてくれ、八。死んだ主人が一人で隱せなくて、番頭清六と植木屋の松五郎に手傳はせたと言つたらう」
「だから敷石を
「そんな場所ぢやあるまい。それから、松五郎は死に際に、伜の丑松に何とか言つたさうぢやないか」
「石を
「それだよ、石、石と言つたのは石を抛れといふのではなかつたんだ。重い石――重い石――、判つたよ。八」
「何處です。親分」
「越前屋の
「谷中の長海寺で――立派な
「それだツ」
平次の