「親分、
ガラツ八の八五郎が、息を切らして飛込みました。櫻の
「
錢形平次は
「鐵砲ですぜ、親分」
八五郎は餘つ程急いで來たらしく、まだ筋を立てては物が言へません。
「鐵砲? 俺は、女房の方が餘つ程怖いよ」
平次はさう言ひ乍ら女房のお靜の方を振り返りました。
「まア」
「冗談ぢやありませんよ、親分。通り三丁目に店を持つてゐる釜屋半兵衞が、北新堀の家で鐵砲でやられたんだ」
「成程、そいつはうるさい事になりさうだな。行つて見ようか、八」
平次は
その頃は幕府の取締りが嚴重を極めて、大名が道具を揃へるのでさへ、鐵砲となると一々面倒な屆出が必要とされ、一般人の江戸持込みなどは全くできない時代ですから、鐵砲の人殺しなどといふ事件は、錢形平次の長い經驗にも、
二人が北新堀へ着いたのは晝少し過ぎ。
「錢形の親分か、丁度いゝところだ」
瀧五郎はさり氣なく迎へます。この素晴らしい競爭者には、どうせ太刀打が出來ないと思つたのでせう、
「鐵砲でやられたさうぢやないか――滅多にないことだから、後學のため見て置き度い」
平次はこの
釜屋の家族や奉公人達は、すつかり
「錢形の。この通りだ」
この室の異樣な飾りや、その調度の豪勢さには、平次もさすがに眼を見張るばかり、暫くは死骸のあるのも忘れて、
「釜屋が
そつと後ろから
「フム、これはひどい」
平次は一歩死骸に近づきました。
「何處から撃つたんだらう?」
「あの通りさ――隣の部屋に鐵砲があるよ」
瀧五郎の指した方、丁度死骸の枕元一間位のところ、
隣の部屋を覗いて見ると、其處はザラに見かける事のできない
問題の鐵砲はその十五疊の隅に置いた、巨大な
佛像から、唐紙の穴まで三尺あまり、穴の
「不思議だ」
一生懸命首を
「何が不思議なんで? 親分」
ガラツ八のキナ臭い鼻が下から覗きます。
「腑に落ちないことばかりだよ。唐紙の外から鐵砲を撃つて、確かに人間が殺せる道理はないぢやないか。彈丸に眼があるわけはないぜ」
「――」
「それにこの鐵砲には火繩が仕掛けてないよ――曲者が鐵砲を撃つた後で、火繩を外して逃げたとしか思はれない」
「佛樣が撃つたんぢやありませんか」
八五郎は
「俺もそれを考へてゐるんだ。死骸の傷から眞つ直ぐに、唐紙の穴を
「冗談ぢやないぜ。木で
仰天したのは瀧五郎です。
「鐵砲は
平次は毛皮の上から鐵砲を取上げました。
「こんな品は、町人や百姓の家にあるわけはねえ。大名道具だぜ」
平次と瀧五郎はそんな事を言ひ
「こいつは何だ? 恐ろしく重いぜ」
八五郎が引張り出したのは、大きな
「あツ、大變ツ」
中は小判で一パイ。何百兩、何千兩あるやら見當も付かない有樣です。
「騷ぐな八。小判といふものを見たことのない人間ぢやあるまいし、見つともないぢやないか」
平次もその後ろから差覗いて、小首を
「でも親分、これだけありや大抵の人間はうなされますよ」
ガラツ八の無駄口には答へず、小判の唐櫃を調べてゐた平次は、
「おや、それは何だい?」
小判の中に埋まつた眞つ黒な
「變なものですね」
側で一服してゐたガラツ八も覗きました。
「危ないツ、八」
平次はいきなり八五郎を突き飛ばします。
「あツ、何をなさるんで、親分」
「
「へエ、これがねえ」
ガラツ八は只
小判と火藥の外に、
「兎に角、家中の者に逢つて見よう。下手人の目星をつけるのが先だ」
その中にも瀧五郎は、岡つ引本能を働かせて、獵犬のやうに血の匂ひに引き
「それも宜からう。八、家中の者を
「へエー」
飛んで行つた八五郎は何やら大きな聲で指圖をしてゐる間に、平次は次の六疊に入つて戸棚や押入の中をひと通り調べました。此處は隣の十五疊と打つて變つた簡素な部屋でひと通りの夜具布團と、誰が
「へエ、親分さん方、御苦勞樣で」
最初に入つて來たのは、八五郎の紹介によれば、番頭の伊八といふ五十男でした。ひどく線の太い、ノツソリした感じの人間で、何う見てもこれが有名な釜屋の支配人とは思へません。
「昨夜のことを
「詳しくと申しても、何んにも存じませんが、主人は宵から離屋に引籠つて、大事な客があるからどんな事があつても誰も來てはならぬといふことで御座いました」
「
「今までも時々そんな事が御座いました。大抵そんな時は、離屋へお客樣で」
「昨夜も客があつたんだな」
「へエー。立派なお武家樣で、大藩の御留守居と言つた方で御座いました。少し
「それから」
平次は
「一刻ばかりお話になつて、
「何にか物を持つて來なかつたのか」
「重い物をお持ちで――。お供が三人外で待つて居られました」
「それから」
「お客が歸るとお島さんを呼んで
「お島さんといふのは何だ?」
「召使ひで御座います」
「それから釜屋の
「私にはよくわかりません。萬事主人がいたしますので、でも、大そうな、身上で御座います」
この番頭は、恐らく何にも知らずに、店では
「もう一つ訊くが、この押入の
「それは初耳ですが、
「何? 昨日まで空つぽ? それは本當か」
「
伊八の言葉は至つて自然で、何の作爲があらうとも思はれません。
「お前はお島といふのだな」
「ハイ」
二人の前へ小さく坐つたのは、二十五六の淋しい女でした。顏形は
「
「お客樣がお歸りになりましたので、私が參つてお
お島の話はハキハキして居ります。
「
「主人が御自分でなさいます。今朝
すると釜屋半兵衞は自分で締めた離屋の中で、姿の見えぬ曲者に、隣の部屋から鐵砲で撃ち殺され、曲者は戸の隙間からでも逃げ失せたことになります。
「昨夜鐵砲の音がした筈だが――」
「私が
「その音を聞いた時、母屋では皆んな顏が揃つて居たのだな」
「ハイ、大抵揃つて居たやうで御座います」
「大抵?」
「御新造のお袖さんはまた、頭痛がすると仰有つて、宵から、御自分の部屋に引籠りました」
「ところでお前の
平次の問ひは
「長崎で生れましたが」
「江戸へ來て何年になる」
「五年ほどになります」
お島の答へには何の
「そんな事でよからう。そのお袖さんとやらも呼んでくれ」
お島は默つて引下がりました。その後姿が見えなくなると、何處から出て來たか、ガラツ八の物々しい顏が、
「若旦那の初太郎の嫁のお袖が、殺された
斯う平次の耳に囁きます。
「ウムそんな事がありさうだと思つたよ」
「
そんな事を言つてゐるところへ、嫁のお袖が出て來ました。二十一といふにしては、少し
若さと恥かしさと、恐ろしさにさいなまれて、何を訊いてもはか/″\しい答へはありませんが、
「どうせ至らない私ですから――」
と涙ぐむばかりです。さうかと言つて、急に此の家を出るといふ話ではなかつたらしく、昨夜のことは、お島や伊八の話と
「昨夜頭痛がすると言つて、早く部屋へ引取つたといふではないか」
「え、どうにも我慢が出來ませんでした」
「部屋から外へは出なかつたのか」
瀧五郎が口を容れました。
「え」
無造作にうなづきます。
若旦那の初太郎といふのは、二十三四の好い男ですが、父親の半兵衞の鋭さ、
「錢形の親分、
ひとわたり調べが濟むと、待ち構へたやうに、瀧五郎は言ふのでした。
「困つたことに少しも判らない」
平次は頭を振りました。三十をやつと越したばかりの苦味走つた顏に、深々と憂欝な
「あの嫁が變ぢやないか」
「戸締りの嚴重な離室に入れるわけはない――入つても、出る工夫はない」
「すると?」
「下手人は佛樣より外にない――あの木彫りの佛像が鐵砲を膝だめにして、唐紙越しに釜屋半兵衞を殺した――と見る外はない」
「そんな馬鹿なことが――」
瀧五郎は一應笑ひ飛ばしましたが、曲者の逃げ道が分らないと、佛樣を下手人にする外はありません。
「それより大變なことがあるかも知れない。八、昨夜離屋へ來たお武家の身許が判る工夫はないか。店中の者は言ふ迄もなく、近所の衆へ訊いてくれ。供の者が三人で何千兩といふ金を持つて來た筈だ。提灯の
「へエ――」
八五郎は飛んで行きました。其の後で平次はもう一度支配人の伊八に逢つて近頃の大きな取引から、荷の入り工合、手紙のやり取りなど念入りに訊ねましたが、
「親分、驚いたの驚かないの」
間もなく八五郎が戻つて來ました。
「何を驚くんだ?」
「昨夜のお供ですよ。提灯は手拭で鉢卷をさせて紋所を隱してあつたし、供の者の
「
「昨夜の武家が臭いといふのか」
瀧五郎に取つては、平次が昨夜の武家にばかりこだはつてゐるのが氣に入らなかつたのでせう。
「容易ならぬことがあつたらしいよ。俺は何んとかして、その武家の身許が知り度い」
「武家は
「その通りだよ、瀧五郎親分」
平次はそれ以上に爭ふ意志がないらしく、瀧五郎の不服らしい顏にも構はず、何やら、考へ込むのでした。
その日のうちに檢屍が濟んで、次第に
「許せよ」
その晩
「へエ、入らつしやいまし。どなた樣で?」
門口へ出たのは、三十前後の若い男――それは錢形平次の、番頭になり濟した姿だつたことは言ふ迄もありません。
「拙者は昨夜參つた者だが――
釜屋の樣子の唯ならぬに、武家も何んとなく
「どんなお約束か存じませんが、主人半兵衞は昨夜急に
「それが申されぬのぢや。噂には聞いたが、主人半兵衞は、矢張り亡くなつたのぢやな」
「へエ」
「それは困つた」
武家は全く困り果てた樣子です。
「大抵のことは、私で相分るかと存じます。そのお約束とやらを、仰有つて下されば」
「されば――」
武家は言はうとして、フト口を
「いや
「へエお安いことで、暫く、御待ちを」
平次は小僧に言ひ附けると、釜屋の名の入つた提灯を一つ取出させ、灯りまで入れて貸してやりました。
「これで宜しう御座いますか」
「
町の闇に消え込む武家、外に三人の供と大八車が二臺、
覆面の武家と三人の供と、二臺の大八車が
夜はもう
「般頭、船頭」
「へエー」
「釜屋から參つた。約束の品を引渡してくれ」
「確かに釜屋でせうな。間違ひがあると困りますが」
「それは大丈夫だ。此の通り提灯を持つてゐる――それにこの取引は誰も知らぬことだ」
「それぢやお渡し申しますよ。――五梃づつ
「よし/\」
二人の船頭が船の中から取出して渡す菰包が二十。それを
やがて車は大川端へ出た頃。
「待て/\後ろから
覆面の武家は立止つて暗の中を
「旦那、私で御座います」
「あ、釜屋の番頭か、びつくりしたよ」
武家は何にか知らホツとした樣子です。
「お氣の毒樣ですが、その荷物をお渡し申すわけには參りません」
「何?」
「お上のお指圖で御座います。恐れ入りますが釜屋までお越しを願ひます。その代り、小判三千兩は、たしかに御返し申し上げます」
釜屋の番頭になり濟した平次は、二臺の大八車の梶棒を抑へて
「え、今更何を申す」
覆面の武士は、三人の供を後ろに追ひやるやうに、刀の
「旦那、鐵砲の賣買は嚴しい
「何を馬鹿なツ」
事面倒と見たか、サツと拔いた一刀、用捨もなく平次に斬り付けるのを、かい潜つて、
「八、その車を頼むぞ」
「合點だ、親分」
闇の中から飛出したのは、八五郎、瀧五郎始め、二三人の子分共。あつといふ間に三人の供を追つ拂つて、二臺の大八車を分捕つてしまひました。
「
事の破れと見た覆面の武家、必死の勢ひで平次に斬つてかゝるのを、二三度は
「えツ、面倒」
サツと
「
疊みかけて襲ふ武家の手が、此の不思議な武器に封じられて暫く
覆面の武家は逃しましたが、幸ひ二臺の大八車は首尾よく組屋敷に引入れました。深夜乍ら與力笹野新三郎、立會ひの上檢査をすると、
「釜屋半兵衞が、
平次は今までの
「その大名方は? お名前は分らぬか」
「一向分りません。が、たつた百梃の鐵砲で
「成程そんな事もあらう」
笹野新三郎はうなづきました。
平次の一行が八丁堀を引揚げたのはもう明け方。
「錢形の親分。百梃の鐵砲を見付けたのは上出來だつたが、釜屋半兵衞殺しの
靈岸島の瀧五郎は不足らしく言ひました。
「釜屋殺しの下手人なら、分つてゐるぢやないか、瀧五郎親分」
平次は何の氣取りもなく
「冗談だらう、錢形の」
「俺は鐵砲の方に夢中になつてゐたんだ――釜屋半兵衞殺しの下手人なら分つてゐるよ。あのお島とか言ふ下女だ」
「え、あの女が下手人? 隣の部屋から主人を鐵砲で撃つて、戸の隙間からでも逃出したといふのかえ」
「まア。さう言つたわけさ。あの女には半兵衞を殺すだけの理由があつたんだらう。あの晩半兵衞が一杯飮んで、
平次の説明の奇怪さ。瀧五郎もガラツ八も、默つて次を
「お島がそつと歸つた後で、半兵衞は眼をさまして、中から雨戸を嚴重に締めたんだらう。そんな事は時々あつた筈だ。隣の部屋の線香の匂ひは、ツイ先刻灸を据ゑたばかりだから氣が付かないのも無理はない。半兵衞はそのまゝ本當に寢入つたのだらう。それから四半刻ばかり經つて、線香が
「それほどよく分つてゐるなら、なぜ教へてくれなかつたんだ、錢形の親分」
と瀧五郎。
「確かな證據は一つもないよ。――それに相違ないと思つても、いざとなると人を縛るほどの證據にはならない。――それに俺は鐵砲の方で夢中だつたんだ。
「急がうぜ錢形の。あのお島とか言ふのが、まだ氣が付かずに居るだらう」
瀧五郎は足を早めました。此の足で釜屋へ行つて、有無を言はさずお島を縛る氣だつたのです。
だが、それは飛んだ當て違ひでした。お島は一通の手紙を殘して、
その手紙によると、――釜屋半兵衞は非常な惡人で、長崎に居る時分
「道理で無愛想な女だつたぜ。俺はあんな女を見たこともねえ」
ガラツ八は拍子拔けのした瀧五郎を慰め顏に言ふのでした。
「親の敵でも討たうといふ女が、お前に白い齒などを見せるものか、ハツハツハツ」
平次も初めてカラカラと笑ひました。