「親分は長い間に隨分多勢の惡者を手掛けたわけですが、その中で何んとしても勘辨ならねエといつた奴があるでせうね」
ガラツ八の八五郎は妙なことを訊ねました。
晩秋のある日、神田の裏長屋の上にも、
「それはある」
平次は煙管を指の先で廻し乍ら、あれか、これかと考へて居る樣子でした。
「滅多に人を縛らない親分が、憎くて/\たまらなかつたといふ相手は一體どんな野郎です」
「主殺し、親不孝、――そんなのは惡いに相違ないが、――本當に憎くてたまらないのは子さらひだよ」
「へエ――?」
「
「そんなものですかねエ」
八五郎は長んがい
「ところで八」
「へエー」
「近頃俺は、
「搜してやりや宜いぢやありませんか」
「相手がよくないよ」
「へエー」
「二千二百石取の御大身、お旗本の歴々だ。町方の者をゴミ見たいに扱ふから、俺は旗本や御家人は大嫌ひなんだが、跡取の男の子がさらはれたとなると、氣の毒でもあるな」
「氣の毒がる位なら、行つて搜し出してやりませう。金にする氣でさらつたのならまだ何うにかなるが、
八五郎はやつきとなりました。わがガラツ八は
「可哀想には可哀想だが、そのお屋敷には凄いお
「成程ね」
平次の潔癖の前に、八五郎は一應承服しました。が、
「――でも、さらはれた子供と、その母親が可哀想ぢやありませんか。
と、ガラツ八らしくこね返します。
「ウーム、その通りかも知れないね。女の考へは女に訊くに越したことはない、何うだお靜行つたものかな」
錢形平次は裏庭で張物をしてゐるらしい、白い姉さん冠りに聲を掛けました。
「八さんの言ふのは
まだ充分に若くも美しくもある戀女房のお靜は、子供を持つた經驗はありませんが、それでも女らしく、
「何處です、先は」
八五郎は少し乘出します。
「飯田町――
「へツ」
八五郎は面白さうに額を叩きました。
「ところが、意地の惡いものだ、それから間もなく奧方も
「――」
「跡取は歳は一つ下でも本妻の子の秀太郎と、世間でも親類方でも疑はなかつたが、妾のお若といふのが
「へエ――よくある節ですね」
「殿樣は近頃本妻のお鈴の方に
「――」
「煮え切らない心持で日をくつてゐると、丁度三日前だ、門前で遊んでゐた秀太郎が、何時の間にやら見えなくなつた。屋敷の人達は出入りの者を狩り集めて、大騷動で搜したが、三日經つても歸つて來ない。奧方のお鈴さんは半狂亂で、三度の物も食はずに悲歎にくれてゐる、――何んとかして搜し出してくれ、此儘にして置いては、素姓の知れないお妾のお若の子が、
「そいつは行つてやらなきや男が立ちませんね、親分」
八五郎は、妙に
「俺は十手を預かる町方の御用聞で、
「さう來なくちや錢形の親分と言はさねエ」
「何をつまらねエ」
でも、平次は到頭動き出しました。
餅の木坂の堀江家の通用門からお勝手口へ顏を出した錢形平次と八五郎は、内玄關から疊を敷いた部屋に通されて、茶よ菓子よと、思ひの外の待遇でした。
「平次殿に、八五郎殿か、よく來て下された。殿にも大層なお喜びで、くれ/″\もお禮を申すやうにとのお言葉だ」
用人の松山常五郎は手を取らぬばかりの喜びやうです。四十五六の用人
「その後若樣の御便りは?」
「何んにもない、困つたことぢや」
「一應心得のために、御屋敷内の皆樣に御目にかゝり度いと思ひますが」
「宜いとも、早速殿に申上げよう」
それから暫らく待たされて、若い綺麗なお小間使が、
「どうぞ此方へ――」
と案内してくれました。この頃の旗本屋敷らしく、天井は低く、窓は小さく、廊下もさして廣くはなく、何んとなく薄暗い感じですが、それでも木口も立派で、よく
奧の一と間、左右から唐紙を開けると、脇息に寄つて、三十七八の立派な武家が、ニコやかに二人を迎へました。
「平次、八五郎と申したな、いや、御苦勞であつた。伜が
二千二百石取りの殿樣にしては如何にも如才ない調子でした。
「精一杯、お搜しいたします。
「あゝ、宜いとも、何分宜しく頼むぞ」
口をきいたのはたつたそれだけですが、平次は滿足した樣子で引下がりました。
續いて奧方の部屋、これは縁側から廻つて聲を掛けると、
「まア、よく來てくれました。どんなにお前方の來るのを待つたことか――」
さう言つて端居に出て來たのは、三十五六の、少し淋しいが、美しいといふよりは、
「お氣の毒で御座います。出來るだけのことは致しますが、少しばかり、お話を願ひ度いと存じますが――」
「宜いとも、何んなと遠慮なく」
「若樣は時々お一人で御門の外へ出られるのでせうか」
「何んと申しても子供のことですから、
「人見知りをなさらない方で?」
「えゝ、誰にでもよくなつきます」
「不斷御屋敷では誰と一番よく遊んでゐらつしやいました」
「小間使の
「お屋敷の外の方では?」
「荒物屋の子ぐらゐのものでせうね、外には心當りがありません」
話はそれだけでした。良い加減に切上げると、
「どうぞお願ひ申します、あの子が歸らなかつたら、私――」
あとは
次はお
「御苦勞ねエ、飛んだ人騷がせをして」
さう言ふお若は、二十七八のそれは派手な女でした。少し肥り
側で精一杯玩具を散らばして遊んでゐる兒は、大柄でお人形のやうな造作をした顏ですが、何んとなく
此女から何を訊いても恐らく正確な答へを得ることがむづかしいと思つたか、平次はそれつ切り引下がりました。
あとは用人の松山常五郎をのぞけば、一季半季の奉公人ばかりです。そのうちの一人、先刻案内してくれた綺麗な小間使は、お吉と言つて十九、房州から行儀見習に上がつて居るさうで、
「私は何んにも存じません。でも奧樣がお可哀想です、若樣に若しものことがあつたら、生きては居らつしやらないでせう。――若樣は何方かと言へば
「そのお淺さんとやらは何處に居るのだ」
「市ヶ谷でございます。もう三十を越した方で、御不縁になつて奧樣のお里にゐらつしやいますが、――お里方と申しても、今では弟樣御夫婦の世帶ださうで」
此處で平次は、奧方と小間使の言葉の間に大きな喰ひ違ひのあることに氣が付きました。
「若樣とお部屋樣(お若)の間は?」
「お仲は宜しい方でございました。お二人の若樣が御一緒に遊ぶので」
「――」
「滅多な人にはなつかない若樣でしたが、お子樣は矢張りお子樣同士で、徳松樣と御一緒に遊び度さに、お部屋樣(お若)の仰しやることはよく聽いたやうでございます」
お吉はよく話してくれました。何となく
續いて逢つた若黨の三次は、三十前後の色の淺黒い小柄な男で、
「あつしは何んにも知りませんよ、若樣とは大の仲好しでしたがね、これは何處の子供衆も四角
そんな事を言ふ調子が、妙に掛引が強さうで、渡り者らしい
「それから三日の間に變つたことはないのか――若樣が見えなくなつてからだ」
「奧樣が
「お供は?」
「お一人のやうでした」
三次が濟むと、あとは下女のお仲に、
「八、市ヶ谷に廻つて、奧方の里方に居る妹さんに逢つて見てくれ。それから歸り築土八幡樣に廻るんだ、昨日武家の奧方が參詣した時の樣子――誰にも逢はなかつたか何うか、それを訊くんだ」
「へエ――」
「それからもう一つ、あのお
「親分は?」
「俺か――ハツハツ、俺に用事がなくなるのが不足だといふのか。心配するな、荒物屋の伜に逢つて、最寄の
「人さらひなら、江戸から出さないやうに、四宿と船の出入りを見張らなきやなりませんね」
八五郎は常識的なことを言ひます。
「三日も前のことだ、江戸から連れ出すものなら、もう箱根を越して居るよ。だがな八、若樣の秀太郎とかは、あまり良い子柄ではなかつたやうだ。
「成程ね、そんなもんですかねエ」
ガラツ八の定石は一ぺんにけし飛んでしまひました。
その晩、平次の家へ八五郎がやつて來たのはもう大分
「あ、くたびれた、――江戸中を二三遍駈け廻つたやうな心持ですよ」
「御苦勞々々々、まア一杯やり乍ら話してくれ」
子分思ひの平次は、自分で立つて盃などを出してやります。
「パイ一も有難いが、それより腹へ底を入れなきや、呑んだやうな氣がしませんよ。朝つから
「呆れた野郎だ、また
「お察しの通りで」
「お上の御用で、何時何處へ飛ぶかわからない身體だ、せめて二
平次はさう言つて苦笑ひするのです。
「ところで、
「それから」
「――若樣の行方不知になつたのは、堀江の屋敷から人が來て、その晩のうちに聞いたさうです。もう一つ、奧方は昨日確かに
「フーム」
平次は
「お妾のお若といふのは、
「よし/\、それでいろ/\のことが判つたよ。俺の方はまるつ切り
「結構な智慧が浮びましたかえ」
「うんにや、智慧の方も
平次はさう言つて、大きな
事件は
その晩平次は、
「錢形の親分さん、お願ひ申します。夜更けになつて相濟みませんが、餅の木坂の荒物屋から參りました」
「何んだえ、餅の木坂のの荒物屋で何うしたんだ」
入口の狹い三疊に泊り込んでゐた八五郎が飛起きました。
「伜が夕方から見えなくなりました。八方に手をわけて心當りを搜しましたが、何處にも見えません。堀江樣の坊つちやまのこともあるので、あのお屋敷の御用人に伺つてお願ひに參りました。まことに申兼ねますが、
「そいつは氣の毒だが、もう夜明けに間もあるめえ。後から行つて見るから、先へ歸つて待つてくれ」
「さう仰しやらずに親分」
斯うしてゐるうちにも、五歳になる伜の時次郎が、恐ろしい速力で自分達の手の及ばぬところへ飛んで行つて了ふとでも思ひ込んでゐる樣子です。
「八、そんな氣の長いことを言はずに、今直ぐ一緒に行つて見てやるが宜い、俺も後から追ひ付くから」
「へエ――」
隣の部屋から平次に聲を掛けられると一も二もありません。八五郎は寢足らぬ顏を水で洗つて、荒物屋の亭主と飛んで行きました。
飯田町へ駈け付けて見たところで、八五郎が
「いつものやうに、薄暗くなるまで外で遊んでゐました。五つと言つても智慧も柄も六つ七つに見える方で、夕方の
亭主と女房はひどい興奮と
「江戸の眞ん中で、そんな馬鹿なことがあるわけはない。いづれ人間の仕業だらうが、日頃子供を手なづけて居る者に心當りはないのかな」
「一向心當りは御座いません。どなたにでもよくなつく子で、
女房はさう言ひ乍ら、自分の不行屆を責めてさめ/″\と泣くのです。
其處へ平次も駈け付けましたが、さて手の下しやうもありません。
その日の晝過ぎ、荒物屋に一通の手紙を投げ込んだ者があります。取込んでゐた時で、その風體も判らず、小僧が後で店の土間で拾つて騷ぎになりましたが、その時はもう投げ込んだ者の姿もなく、お隣の堀江家の通用門へ女の姿がチラと隱れたのを見たといふ者もありますが、あまり當てにはなりません。
手紙は
子どもは しばらく あづかる 心配無用 いのちに別條はない
と「氣をつけて見るが宜い、亂暴に書きなぐつては居るが、角々の滑らかな、
平次はさう言ふのです。
その日一日頑張つて見ましたが大した收獲もなく、平次は八五郎だけを殘して自分の家へ引揚げました。
その晩も遲くなつて歸つて來た八五郎の報告によれば、荒物屋の方は何んの變つたこともなく、堀江家の方は、姉の奧方を慰めに來たといふ妹のお淺が、日が暮れてから歸つて行きましたが、間もなく若黨の三次が、それを追ふやうに出て行き、
「持つて來た品か、持出した品はないのか」
平次は妙なことを訊きました。
「お淺が小さい風呂敷包を大事さうに抱へて行きましたが、あとは
八五郎は先をくゞつて斯んな事を言ふのです。
その翌日は、今度は堀江の屋敷から出入りの職人が
「大變、親分、直ぐ來て下さい」
「何んだ、何が大變なんだ」
居合せたガラツ八が、親分の眞似をして妙に落付き拂ひます。
「若黨の三次が殺されたんです」
「何?」
「お屋敷の塀の外で、辻斬にでもやられたんでせう、眞つ向から
「そいつは大變だ」
ガラツ八もさすがに驚きましたが、平次はその掛合を隣の部屋で聽くと、早くも支度をして出て來ました。
「行つて見よう、八」
「へエ――」
親分と子分と、それから使の者は、物をも言はずに飯田町へ飛んだことは言ふ迄もありません。
若黨三次の死骸は、堀江家裏手の塀外にありました。
町役人が二三人と、掛り合の近所の衆と、それに堀江家の用人松山常五郎が出て見張りをして居りますが、何う處置したものか、
「御免、檢屍前によく見て置き度い」
平次は
「正面からこれだけ斬るのは親分」
「三次が油斷をする相手だ、そして凄い腕前だ、――少し血が少ないとは思はないか」
「さう言へばさうですね」
平次と八五郎はこんなことを
「昨夕三次は何處へ行つたんでせう」
平次は用人の松山常五郎に訊ねました。
「毎晩のことだから、わからないが、いづれ何處かの
松山常五郎の調子には、ひどく三次をこきおろすやうな響きがあります。
「遲く歸つた時は何處から入るんです」
「通用門の
「念のためにお屋敷の中と、三次の部屋を見せて下さいませんか」
「あ、宜いとも」
松山常五郎が案内して堀江の屋敷に入りました。
潜戸を入つて二三十歩行くと、新に芝地を掘り返した畑で、
拾ひ上げて見ると、それは子供の
「近所の子がよく御門内へ入るから喃」
松山常五郎はそれを見て、辯解らしく言ひます。
三次の部屋は何んの變哲もなく、持物もひどく少ないのですが、不思議なことに押入から引出した
「大層
年に四兩の若黨の給料では、十兩溜めるのは容易のことではありません。
それに、
「三次は勝負事が好きだと言つたね」
「勝つて來た十兩かも知れませんよ」
「この紙の匂ひを嗅いで御覽、勝負事で
「へエー、こいつは女の匂ひですね」
八五郎は大きい鼻をヒクヒクさせて居ります。
紙には高價な化粧品――
平次はその間に、多勢の
「二人の子供の方は何うなるんです」
「それも追々わかるよ」
「堀江の殿樣が、――今まで、お妾の子にばかりチヤホヤして居たのが、奧方の子がさらはれてから、急に――秀太郎の行方はまだわからぬか、秀太郎はどうしたらう――とそればかり心配するやうになつた樣ですよ、妙なものですね」
「それが親心といふものだらう。――ところで、今晩俺と一緒に市ヶ谷の奧方のお里まで行つてくれ」
「何があるんです」
「何んでも宜い、その時になればわかることだ」
平次はそんな事を言つて八五郎の好奇心を
その晩市ヶ谷の月岡某の浪宅――堀江
八疊の質素な部屋に、首を
「さて、皆樣、わざ/\お集まりを願つたのは、お頼みの堀江樣若樣、秀太郎樣と、荒物屋の伜時次郎の行方がわかつたからでございます」
「――」
六人は居ずまひを直して互に顏を見合せました。
「本來ならばお屋敷へ申上げるところですが、その前に心得のため皆樣の御耳に入れ度いと存じ、此處にお集りを願ひました」
平次は何んの
「若樣は――母御樣は人なつつこいと仰しやいましたが、どちらかと申すと
「――」
ハツと首を垂れたのは奧方の妹のお淺でした。
「これは奧方とお話合ひの上で伴れ出しなすつたことで、――奧樣が翌る日外へ出られたのは、若樣とお逢ひになる爲であつたと思ひます。そして
「――」
平次はズケズケと言つて
「その翌日にお淺さんが飯田町のお屋敷へ來られたのは、若樣がむづかるので、玩具を持つて行く爲だつたと思ひます。四つになる若樣はなか/\
「――」
「このいきさつを嗅ぎ出した若黨の三次は多分奧方を
三人目、用人松山常五郎は默つてうなづきました。
「血の跡を隱すために、芝地を掘返して、急に畑にし、死骸は塀外へ取捨てられたが、血の附いた玩具までは氣がつかなかつた」
「――」
「如何でせう。この平次の申上げたことに違つたことや足りないところはなかつたでせうか。私は町方の御用聞で、御大身の御旗本の
平次は靜かに言ひ終ります。それを待つてゐたやうに、
「一言もない、まさにその通りだ。萬事は此松山常五郎の不行屆から起つたこと、御免」
「ま、待つておくんなさいまし、二本差は、すぐそれだから大嫌ひさ。ね、松山樣、腹を切つたつて、
平次はあわてて留めました。この松山常五郎といふ用人は、平次の鑑定通り見かけに寄らぬ純情家だつたのです。
「平次殿、許して下さい。皆んな私が到らぬから起つたことでございます」
奧方は膝の手を滑らして、疊の上へ崩折れました。
誰にともなく詫び度い心持でせう、重さうな頭を幾度も/\下げると、はふり落ちる涙が疊を
「妹には、若(秀太郎)が毒害されるかも知れないから、暫らく身を隱させるやうにと頼みましたが、實は――實は――」
「――」
奧方は言ひ
「さうでもしたら殿樣が、若(秀太郎)やこの私を
奧方は唯ひた泣きに泣くのです。
「よくわかりました。御心配なさいますな、平次は胸一つに疊んで、この事は
「それは本當かい、平次。そして此私は、罪の深いこの私は?」
「何んの、罪も、
「有難い、平次、この御恩は」
奧方も、お淺も、用人常五郎までが思はず手を合せるのでした。
「拜んぢやいけません、佛樣にされるにはまだ早い、――ところで、お妾のお若、あの女の惡い素姓をすつかり洗ひ出しましたよ。林次といふのは兄貴ではなくて、
一座はたゞ、感激にひたつて言葉もありません。
「サア、八、供揃ひだ。若樣を守護して、餅の木坂のお屋敷へ歸るんだ。――今晩にも殿樣にお目通りを願つて、これに
平次は斯んな事を言ひ乍ら、しよんぼりと留守宅に平次の歸りを待つてゐる、戀女房のお靜のことを考へてゐたのです。