「八、お前近頃惡い料簡を起しやしないか。三輪の萬七親分が變なことを言つて居たやうだが――」
八五郎の顏を見ると、錢形平次はニヤリニヤリと笑ひ乍ら、こんな人の惡いことを言ふのです。
「それですよ、親分。あつしはそんな惡い人間に見えますか」
八五郎は少しばかり
「甘い人間だとは思つて居るが、惡い人間とは氣が付かなかつたよ。
「親分、あつしが、子さらひや
八五郎は腹を立て乍らも、よく/\困惑して居る樣子です。
「だから
平次はまだからかひ顏ですが、此事件にはかなりの興味と熱意を持つて居る樣子でした。
八五郎の掛り合ひになつた子さらひ事件といふのは、江戸の下町に、此夏から起つた
さらはれるのは、良家の綺麗な女の子で、六つ七つから十歳止りくらゐ、四五日から長くて十日くらゐ留め置いて、大抵は親許の身分に應じた金を奪つて戻しますが、中に、五人に一人、三人に一人、一と月二た月と經つても
戻つた娘から聽くと、
「子供は何んでも田舍の一軒家のやうなところへ連れ込まれ、ろくに食物もやらずに、何日かは投り出して置かれるさうです。
「妙なこと?」
「妙なことに違ひありません。女の子の骨組や身體を念入りに見たり、高いところから突き落したり、
「それから?」
八五郎の話は豫想以上に奇つ怪です。
「それから子供の親許へ手紙をやつて、何時の幾日に、何處其處へ金を持つて來い、子供は
「その金を受取りに行くのが、八五郎――お前だといふぢやないか」
「だから親分、あつしは
「子供をつれて來て、金を引換へに
平次は少しからかひ氣味です。
「それですよ、親分。子さらひ野郎に何んの
「怒るなよ八、本當にお前が曲者なら、まさか名乘つて行くやうな間拔けなことはしないだらう。三輪の親分が何んと言はうと、笹野の旦那は笑つて聽き流していらつしやるよ」
これが平次の本音だつたのです。
「本當ですか、親分」
「口惜しいと思ふなら手一杯に働いて見るが宜い。僞物を縛つた上眞物の八五郎を並べて、男つ振りの鑑定をするのも
「やりますとも、畜生ツ」
八五郎はすつかり夢中になつて居ります。曲者に名を騙られた口惜しさより、親分の平次に斯う言はれた信頼の言葉が嬉しかつたのでせう。
「ところで、俺のところへ、こんな手紙を投り込んだ奴があるんだ」
平次はさう言ひ乍ら、煙草入の中から小さく疊んだ紙片を出してひろげました。
「へエ、これなら、あつしにも讀めさうですね――子さらひの曲者を知りたかつたら、兩國へお出で――とね、歌の文句見たいだ」
八五郎は
「兩國だけぢやわからないが、それでも江戸中を
「へエ」
八五郎は何が何やらわからない乍ら、兎も角も飛出しました。自分の名を
それからざつと一刻ばかり。
「サア、大變ツ、親分。大變なことになりましたよ」
初秋の路地一パイに張り上げ乍ら、八五郎はキナ臭くなつて飛込んで來ました。
「何んだ、相變らず大變な
「驚いちやいけませんよ。兩國の人氣者、足藝のお
「それが何うした」
「何うも斯うもありません。後のことは土地の下つ引に任せて、何はともあれ親分のところへ御注進と來ましたよ――あ、喉が乾く、姐さん、濟みませんが水を一杯」
萬事が此調子の八五郎です。
「それは面白くなつたぞ。八、直ぐ引返せ」
二人は兩國へまつしぐらに飛びました。
柳橋まで行くと、橋の上から土手を埋めて、一パイの人だかり。
「あ、錢形の親分」
見張つて居た二三人の下つ引は、道を開いて通してくれます。
初秋の眞晝の陽が、惜しみなく降り注ぐ川の上、花火も凉みも濟んで、水の上は至つて閑散ですが、物見高い江戸つ子が人垣を造つて、のんびりと口を開いて眺めて居る中を、平次は
「あツ」
中は豫想の如く血の海、折り重つて倒れた磯五郎と金助は、銘々に得物を持つて、一應相討のやうな形になつて居るのでした。
「相討ですね、親分」
八五郎の鼻はうごめきます。
「
平次は
「御檢屍のお係り中戸川要之助樣は、相討といふことになさいましたが――」
番をして居た下つ引の一人は言ふのでした。
「脇差を持つて居る磯五郎が、二三ヶ所突かれた
「へエ――」
八五郎は鼻の下を長くしました。
「その上磯五郎は脇差を左の手に持つて居るぜ。この男はひどい左利きでなきや、死んでから持たせた脇差にきまつて居るよ」
平次の明察は隅から隅まで行き屆きます。
「すると?」
八五郎は一とかど尤もらしい顏をして見せます。
「曲者は外に居るのだよ、――見るが宜い。磯五郎の傷は三ヶ所だが、金助は一突きだ。多分、曲者と金助と二人で先づ磯五郎を殺し、油斷をしたところで金助を後ろから一突きに殺したんだらう。柳橋の下に
平次の説明には非の打ちやうもありません。
磯五郎の小屋といふのは、其處からあまり遠くないところで、大きい小屋と小屋との間に挾まつた、三間間口のさゝやかな輕業小屋でした。
「入らつしやい」
木戸に坐つて居る
「磯五郎が死んでも、小屋は休まないのか」
平次は木戸に立ち止りました、
「休んぢや、こちとらの
相手の懷中の十手を意識すると、中年者の木戸番の調子は急に丁寧になります。
中へ入ると、丁度一座の花形、お紋といふ美しいのが、足藝の眞最中。その藝は大したものではありませんが、きりやうは拔群で、
客の入りはほんの數へるくらゐ、柳橋の下の騷ぎに持つて行かれたせゐもあるでせうが、時刻の早いのと、一座の貧しさも原因するでせう。その客も大抵は生若い男や、
お紋の美しいのに
外には和吉といふ口上言ひが一人、これは三十前後のちよいと好い男ですが、色白の額から左の頬へかけて、
和吉が居ない時は、殺された磯五郎が代つて口上も言ひましたが、この磯五郎といふのは、一番の藝達者で、お紋の小屋を背負つて立つて居たのですから、磯五郎が死んでは、此小屋の行末も思ひやられます。
お紋が樂屋へ入つたのを見極めて、平次と八五郎は大急ぎでその後を追ひました。表の方は一としきり
「親分さん方、入らつしやいまし」
お紋は派手な肩衣を外し乍ら、平次と八五郎を迎へてにつこりしました。近まさりするきりやうですが、舞臺で遠くから見るのと違つて、さすがに老けて居ります。どうかしたら三十を越して居るのかもわかりませんが、取なしが派手で、表情が大きいので、ひどく仇つぽく見えます。
「磯五郎が殺されて困ることだらうな」
平次の問ひは平凡でした。
「え、急のことで、どうして宜いかわかりません。私は女でいざとなると役に立たないし、和吉さんは智惠者ですが、藝は一つも出來ず、――先の事を考へると眞つ暗な心持になつてしまひますよ」
お紋は斯う言つた調子でした。錢形の平次も眼中にないと言つた、不敵さと言ふよりは、明けつ放しで正直一途で、物事に掛引のない證據とも見られます。
「お前は一日中舞臺へ出て居るのか」
「え、江戸中の皆樣が御存じで、晝の
お紋は淋しく笑ふのです。暫らく舞臺は道化の北六が
「宿は何處だ」
「松永町に、お囃子のお石さんと二人住んでゐますよ」
「
「ホ、ホ、私のやうな者に」
お紋はまた淋しく笑ふのです。
「朝と晩は何をして居るんだ」
「まさか内職をして居るわけぢやございませんが、女ですから、針も持ち、お勝手にも立ちます」
「磯五郎の身持はどうだ」
「道樂強い方で、隨分諸方に迷惑をかけたやうでございます」
「女房はないのか」
「え、獨り者で、此裏の荒物屋の二階に、北六さんと一緒に暮して居りました」
お紋はさう言ひ乍ら、
聲は藝人らしく少し
「この手紙の
平次が煙草入から出したのは、例の八五郎が歌の文句のやうだと言つた、――子さらひの曲者を知り度かつたら兩國へお出で――と書いた手紙でした。
「あ、磯五郎の筆蹟ですよ、親分」
お紋には何んの
「間違ひはないな」
「こんな下手な字ですもの、眞似ようたつて眞似られやしません」
「手きびしいな」
平次もツイ苦笑ひしました。
「お前は?」
樂屋の入口に居る青白い男、平次はそれを眼で呼びました。
「へエ、口上言ひの和吉と申しますが」
腰の低い男です。擧げた顏を見ると左半分の
「この一座には古いのか」
「一年ほどになります」
「もとは何處に居た」
「旅廻りの芝居に居りました。中村和吉と申しまして、へエ、その頃はまだ燒痕もございませんでしたので、へエ、――田舍芝居小屋で怪我をしました。へエ」
「磯五郎の殺されたことに
「私には何んにもございません、――私と違つて磯五郎は氣の勝つた男でしたから、いろ/\敵も作つたことと存じます。へエ」
腰が低くて要領が良いといふだけで、それ以上何んにもわかりません。
「お前の家は何處だ」
「この裏で――磯五郎さんや北六さんの住んで居る荒物屋の隣の駄菓子屋の二階に居ります。へエ」
問答はそれつきりでした。やがて出の合圖があると、お紋と和吉は舞臺へ――、それと代つて道化の北六が樂屋へ來ましたが、これは少し智惠が足りないらしく、何を訊いても要領を得ません。二十貫近い肥つちよで、少しヨチヨチして居る樣子を見ると、子さらひにも磯五郎殺しにも關係があらうとは思はれなかつたのです。
「磯五郎さんは強氣でちよいと男もよかつたから、隨分敵も作りましたよ。――お紋さんと仲がよくないかつて? 御冗談で、お紋さんは
お石はこんな事を言ふのです。
竹松は木戸で鹽辛聲を振り絞る外には何んの思案も智惠もない方。一と通り一座の者に逢ふと、船頭の金助の身許を洗はせましたが、これは近所の船宿にゴロゴロして居た船頭ですが、身持が惡くて三月ばかり前に追出されたとわかりました。
「八、來ないか。裏の荒物屋と駄菓子屋へ行つて見るが」
平次は其邊を切上げて、お紋の小屋の裏へ行きました。
磯五郎と北六の居る荒物屋といふのは、老夫婦の内職のやうな小さい店で、その二階に住んで居る磯五郎と北六は、よくもこれで人間が暮らせると思ふやうな
「磯五郎さんは――死んだ者の惡口をいふんぢやありませんが、そりや喰へない男でしたよ。それに比べると北六さんは佛樣で」
荒物屋の亭主の話はこれ以上には出ません。
「
「出たやうです、それつきり戻りません。今朝になつて、――磯五郎は何うした、小屋へ來ないが――と、和吉さんが迎ひに來て、二階に上つて見たやうですが、それから間もなく、柳橋の下に
「和吉が來たのは何刻頃だ」
「
荒物屋の老爺の話をそれくらゐにして、平次は磯五郎の荷物を出させました。小さい
「親分、――その
八五郎はすつかり夢中になります。
「待て/\八、財布が出たからと言つて、磯五郎が曲者とは限るまい」
平次は町役人を呼んで財布を預け、荒物屋を見張るやうに頼んで、隣の駄菓子屋に行きました。此處は六七人の大家族で、二階を一と間和吉に貸して居りますが、
「和吉さんは
駄菓子屋の親父の話を聽き乍ら、一とわたり和吉の荷物に目を通しましたが、小綺麗に整つて居るといふだけで、金目のものは一つもありません。
其處から松永町のお紋とお石の巣へ。
二人の女が一軒借りて小女を使つて住んで居りますが、小女は新米で何んにも知らず、近所附合もあまりないらしく、二人の職業さへ知らない有樣で、何も聽き出しやうもありません。
「お紋さんはお石さんと一緒に、暗くなつてから戻ります。――夜は時々和吉さんといふ方が來るだけで、エエ外へ出ることもないやうです。
といふのが、小女の知つて居る全部でした。家の中は女世帶らしく小綺麗で、大した贅澤ではありませんが、住みよげに出來て居ります。現金の
この事件の解決は、至極簡單に見えて、思ひの外に困難でした。子さらひ事件と磯五郎と、お紋の小屋の間には、一脈の關係があることは明かですが、磯五郎が殺されてしまつては、手の下しやうもなかつたのです。
一番怪しいお紋は、夕刻は小屋を離れることなどは思ひも寄らず、僞八五郎ではないかと思ふ和吉は、手拭の頬冠りくらゐでは、隱せさうもない
あとは水ぶくれの北六、頭の惡さうな竹松、
それでも平次は念のために、さらはれて歸つた子――四つ目の砂田屋の娘お春、中の郷の木津屋の娘お清、濱町の清川の妹娘お砂などをつれて、兩國のお紋の小屋の輕業を見物させましたが、三人が三人共、自分達を
僞八五郎は頬冠りはして居りましたが、強ひて顏を隱さうともせず、言葉少なではあつたが、
此處まで來ると事件はハタと行詰つてしまひます。
「何んか手掛りはないものでせうか、親分」
八五郎の口惜しがるまいことか。
「ないよ。――相手は容易ならぬ曲者だ、――がこれだけの事は判る。綺麗な女の子をさらつたのは、親を
平次は靜かに言ひます。
「太てえぢやありませんか。そんな
八五郎はすつかり腹を立ててしまひました。
「縛る
「どうするんです。親分」
「お前はお紋の小屋へ毎日行つて、どんな細かい事でも見逃さずに、俺のところへ知らせることだ」
「へエ?」
「ことに、お紋と和吉の顏に氣をつけろ。二人の顏の
「それや何んの
「追々わかるよ。――それから、和吉は本當に仲町へ行くかどうか、夜出たら、そつと後をつけて見ろ。――もう一つ、――あの小屋に目立つて金費ひの荒い奴はないか」
平次の話を半分に聽いて、ガラツ八の八五郎はとび出しました。
それから五日目。
「親分、――何んにも變つたことがないので、すつかり御無沙汰しましたよ」
ぼんやり歸つて來た八五郎は、全く精も根も盡きた姿です。
「何にかあるだらう」
平次はそれでも何にか期待して居る樣子です。
「默つて舞臺を見て居るのも、隨分骨の折れる仕事ですね、――夜は和吉の宿の前で、毎晩頑張りましたが、四日も夜明しをさせて、何處へも出ないのは皮肉ぢやありませんか」
「五日目の晩は?」
「到頭出かけましたよ、昨夜遲くなつてからフラフラと出かけた和吉が何處へ行つたと思ひます。――仲町ぢやありませんよ」
「松永町だらう」
「あ、どうしてそれを」
「そして、お紋のところへ泊つて、今朝ぼんやり歸つて行つたらう」
「その通りですよ。あの二人は
「いや、俺はそれが知り度かつたのだ。――他に氣の付いた事はないか」
平次は問ひを進めました。
「金使ひの荒い奴なんかありやしません。よく/\皆んなケチな奴ばかりで」
「顏は?」
「毎日々々お紋と和吉の顏ばかり眺めて居ましたがね。――お紋の
「馬鹿、そんな事を訊いてはしない」
「へエ、――それから、變ですよ。和吉の顏の赤い
「本當か、それは」
「間違ひはありません」
「よし、俺はそれをお前の眼で見て貰ひ度かつたのだ。來い、八」
「何處へ行くんで?」
「子さらひの曲者と磯五郎と金助を殺した下手人を一ぺんに擧げさしてやるよ」
「有難てえ」
二人は飛んで行きました。兩國のお紋の小屋へ――。
× × ×
平次と八五郎が乘込んだのはお紋の小屋。下つ引二三人を狩り出して、大骨折で縛つたのは、何んと
和吉の顏を濡れ手拭で拭くと。燒痕は綺麗に消えて、何んの傷もない良い男になります。これが旅役者の
二人を送つた歸り。
「サア判らねえ、お紋はどうして小屋を拔け出して子供をさらつたんです。――和吉があつしに化けて金を
八五郎は相變らず繪解きをせがみました。
「それが大間違ひだよ。綺麗な新造に化けて子供をさらつたのは、お紋ではなくて和吉だつたのさ――あれはなか/\腕の良い
平次は面白さうに説明するのです。
「あつしに化けて金を取つたのは?」
「それがあのお紋だ」
「へエ?」
「あの女は太い聲をして居るだらう。
「それに二人は夫婦だつたんですね」
「その通りだよ。お紋と和吉が夫婦だとわかると、いろ/\のことがはつきりするぢやないか」
「磯五郎は?」
「和吉とお紋の惡事を嗅ぎつけて
「へエ」
「その上和吉は翌る日の朝、稽古があると言つて磯五郎の宿へ行き、少し足らない北六の眼を
「惡い奴ですね」
「磯五郎はあんなに金に困つて居るから、三日前に手に入れた三十兩を
「――」
「だが、あれほどの惡黨でも情愛は別だな。お紋と和吉は矢張り五日と逢はずには居られなかつたのだ」
「でもお紋は良いきりやうでしたね」
「あのきりやうでも、子さらひをするやうぢや鬼だ。お前の名を
「へツ、冗談でせう」
八五郎は極り惡さうにツルリと長んがい顏を撫でました。