錢形平次捕物控

僞八五郎

野村胡堂





「八、お前近頃惡い料簡を起しやしないか。三輪の萬七親分が變なことを言つて居たやうだが――」
 八五郎の顏を見ると、錢形平次はニヤリニヤリと笑ひ乍ら、こんな人の惡いことを言ふのです。
「それですよ、親分。あつしはそんな惡い人間に見えますか」
 八五郎は少しばかり肩肘かたひぢを張ります。
「甘い人間だとは思つて居るが、惡い人間とは氣が付かなかつたよ。もつともさう果し眼になると、思ひの外お前の顏にも凄味がでるから不思議さ」
「親分、あつしが、子さらひ強請ゆすりをするかしないか考へて見て下さい。あらゆる惡事の中でも、人の子をさらつて金を奪るほど罪の深いことはないと、親分が始終しじう言ふのを身に沁みて聽いて居りますよ」
 八五郎は腹を立て乍らも、よく/\困惑して居る樣子です。
「だからくはしく話して見るが宜い。三輪の萬七親分の言ふのが本當か、本人の八五郎が言ふのが本當か、一伍仔什いちぶしじふを聽いた上で極めようぢやないか」
 平次はまだからかひ顏ですが、此事件にはかなりの興味と熱意を持つて居る樣子でした。
 八五郎の掛り合ひになつた子さらひ事件といふのは、江戸の下町に、此夏から起つた誘拐いうかいで、數はさして多くはありませんが、仕事が如何にも巧妙かうめうで慘忍で、江戸つ子達の義憤の血を沸き立たせるには充分なものがありました。
 さらはれるのは、良家の綺麗な女の子で、六つ七つから十歳止りくらゐ、四五日から長くて十日くらゐ留め置いて、大抵は親許の身分に應じた金を奪つて戻しますが、中に、五人に一人、三人に一人、一と月二た月と經つてもかへしてくれないのも幾人かはあるのでした。
 戻つた娘から聽くと、誘拐いうかいするのは念入りに化粧をして、髮の毛の多い優しくて綺麗な『姉さん』で、子供の觀察で年の頃はよくわかりませんが、二十五は越して居ない樣子です。小娘を釣る手段は、最初は夕方の空地などで多勢の子供が遊んで居るところへ行つて、びつくりするほど飴や菓子をバラき、そのうちの子柄の良いのを選つて、かんざしとかまりとかをやつてつれ出し、或時は空家の中へ、或時は船へさそひ込んで、何處ともなくつれて行くのです。
「子供は何んでも田舍の一軒家のやうなところへ連れ込まれ、ろくに食物もやらずに、何日かは投り出して置かれるさうです。もつとも番人のやうな年寄夫婦が居て見張つて居るが、時々若い男が來て、子供を裸にして、妙なことをさせるんださうで――」
「妙なこと?」
「妙なことに違ひありません。女の子の骨組や身體を念入りに見たり、高いところから突き落したり、はりへブラ下げたりするんだと言ひますから、正氣の沙汰ぢやありませんね」
「それから?」
 八五郎の話は豫想以上に奇つ怪です。
「それから子供の親許へ手紙をやつて、何時の幾日に、何處其處へ金を持つて來い、子供は引換ひきかへに返してやる。子供を無事に返して貰ひ度かつたら、一言も人にらすな、お上の役人の耳に入れるやうな事があつたら、子供は生きちや歸らないと思へ――とうだ。金額は相手によつていろ/\だが、少ないので十兩くらゐから、多いので五十兩止り」
「その金を受取りに行くのが、八五郎――お前だといふぢやないか」
「だから親分、あつししやくにさはつて、癪にさはつて――」
「子供をつれて來て、金を引換へにうばつて行く男が、少し柄は小さいが、三十前後の面長な良い男で――ウフ、その邊は八五郎にそつくりだな――おれは錢形平次の子分で、神田の八五郎といふものだ、口惜くやしかつたら何處へでも訴へて出ろ。その代り子供はもう一度姿を消すぞツと言ひ乍ら、懷中の十手を、突つ張らかして見せるんだつてね」
 平次は少しからかひ氣味です。
「それですよ、親分。子さらひ野郎に何んの因縁いんねんがあるか知らないが、なにもあつしの名なんかかたらなくたつて宜いぢやありませんか」
「怒るなよ八、本當にお前が曲者なら、まさか名乘つて行くやうな間拔けなことはしないだらう。三輪の親分が何んと言はうと、笹野の旦那は笑つて聽き流していらつしやるよ」
 これが平次の本音だつたのです。
「本當ですか、親分」
「口惜しいと思ふなら手一杯に働いて見るが宜い。僞物を縛つた上眞物の八五郎を並べて、男つ振りの鑑定をするのも洒落しやれて居るぜ」
「やりますとも、畜生ツ」
 八五郎はすつかり夢中になつて居ります。曲者に名を騙られた口惜しさより、親分の平次に斯う言はれた信頼の言葉が嬉しかつたのでせう。


「ところで、俺のところへ、こんな手紙を投り込んだ奴があるんだ」
 平次はさう言ひ乍ら、煙草入の中から小さく疊んだ紙片を出してひろげました。
「へエ、これなら、あつしにも讀めさうですね――子さらひの曲者を知りたかつたら、兩國へお出で――とね、歌の文句見たいだ」
 八五郎はあごで拍子を取り乍ら、恐ろしく下手へた假名かな文字を讀みだします。
「兩國だけぢやわからないが、それでも江戸中を盲探めくらさぐりに搜し廻るよりは樂だらう。――兩國へ行つたら、輕業かるわざ、足藝、玉乘りの小娘に氣をつけて見るが宜い。――それからもう一つ、さらつた子供は船で運んだかも知れない。そんなことも氣をつけるんだ。宜いか」
「へエ」
 八五郎は何が何やらわからない乍ら、兎も角も飛出しました。自分の名をかたつて、惡事の中でも一番タチの惡い子さらひをやつて歩く野郎を見付けて、存分に溜飮を下げようと言つた、八五郎らしい激怒に燃えて居るのでした。
 それからざつと一刻ばかり。
「サア、大變ツ、親分。大變なことになりましたよ」
 初秋の路地一パイに張り上げ乍ら、八五郎はキナ臭くなつて飛込んで來ました。
「何んだ、相變らず大變な憑物つきものがしたやうぢやないか」
「驚いちやいけませんよ。兩國の人氣者、足藝のおもんの小屋の輕業師で、磯五郎といふ男が、柳橋の下にもやつた船の中で、船頭の金助と一緒に殺されて居るとしたら、どんなもので?」
「それが何うした」
「何うも斯うもありません。後のことは土地の下つ引に任せて、何はともあれ親分のところへ御注進と來ましたよ――あ、喉が乾く、姐さん、濟みませんが水を一杯」
 萬事が此調子の八五郎です。
「それは面白くなつたぞ。八、直ぐ引返せ」
 二人は兩國へまつしぐらに飛びました。
 柳橋まで行くと、橋の上から土手を埋めて、一パイの人だかり。
「あ、錢形の親分」
 見張つて居た二三人の下つ引は、道を開いて通してくれます。
 初秋の眞晝の陽が、惜しみなく降り注ぐ川の上、花火も凉みも濟んで、水の上は至つて閑散ですが、物見高い江戸つ子が人垣を造つて、のんびりと口を開いて眺めて居る中を、平次は屋形船やかたぶねの中に入つて行きました。
「あツ」
 中は豫想の如く血の海、折り重つて倒れた磯五郎と金助は、銘々に得物を持つて、一應相討のやうな形になつて居るのでした。
「相討ですね、親分」
 八五郎の鼻はうごめきます。
匕首あひくちと脇差か」
 平次はに落ちない顏をするのです。
「御檢屍のお係り中戸川要之助樣は、相討といふことになさいましたが――」
 番をして居た下つ引の一人は言ふのでした。
「脇差を持つて居る磯五郎が、二三ヶ所突かれたうへ袈裟掛けさがけに斬られて死んで居るし、匕首を持つて居る金助が、後ろから匕首か何んか細い刄物で一と突きにやられて居るのを、變だとは思はないか」
「へエ――」
 八五郎は鼻の下を長くしました。
「その上磯五郎は脇差を左の手に持つて居るぜ。この男はひどい左利きでなきや、死んでから持たせた脇差にきまつて居るよ」
 平次の明察は隅から隅まで行き屆きます。
「すると?」
 八五郎は一とかど尤もらしい顏をして見せます。
「曲者は外に居るのだよ、――見るが宜い。磯五郎の傷は三ヶ所だが、金助は一突きだ。多分、曲者と金助と二人で先づ磯五郎を殺し、油斷をしたところで金助を後ろから一突きに殺したんだらう。柳橋の下にもやつた船の中の騷ぎぢや誰も氣が付かないのも無理はないよ」
 平次の説明には非の打ちやうもありません。


 磯五郎の小屋といふのは、其處からあまり遠くないところで、大きい小屋と小屋との間に挾まつた、三間間口のさゝやかな輕業小屋でした。
「入らつしやい」
 木戸に坐つて居る鹽辛聲しほからごゑは、四十前後の不景氣な男で、その頭の上に掛け並べた泥繪どろゑの看板は、存分に下品で、そして存分に刺戟的でした。
「磯五郎が死んでも、小屋は休まないのか」
 平次は木戸に立ち止りました、
「休んぢや、こちとらのあごが乾上がります。へエ」
 相手の懷中の十手を意識すると、中年者の木戸番の調子は急に丁寧になります。
 中へ入ると、丁度一座の花形、お紋といふ美しいのが、足藝の眞最中。その藝は大したものではありませんが、きりやうは拔群で、まが金襴きんらん肩衣かたぎぬに、白絹の手甲、美しいはぎをチラチラと見せ乍ら、兩足を使つて字も書けば揚弓も射、たるも廻せば傘も使ひます。
 客の入りはほんの數へるくらゐ、柳橋の下の騷ぎに持つて行かれたせゐもあるでせうが、時刻の早いのと、一座の貧しさも原因するでせう。その客も大抵は生若い男や、自墮落じだらくな遊び人などで、お紋のきりやうに釣られて、口を開いて小半日見て居ると言つた人間ばかりです。
 お紋の美しいのにからんで、型の如き道化が一人。これは北六と言つて四十五六の水ぶくれの不景氣な男、手品も輕業も一向いけず、舞臺の上をヨチヨチと歩いて、少しばかり可笑しい――が半間な道化を言つて居るのがあります。
 外には和吉といふ口上言ひが一人、これは三十前後のちよいと好い男ですが、色白の額から左の頬へかけて、大燒痕おほやけどが凄まじく、引つ釣に膏藥かうやくなどをつた、見る影もない人相です。最も聲もよく、甲高い調子の口上も、なか/\手に入つたもので、この小屋の一つの人氣になつて居ります。
 和吉が居ない時は、殺された磯五郎が代つて口上も言ひましたが、この磯五郎といふのは、一番の藝達者で、お紋の小屋を背負つて立つて居たのですから、磯五郎が死んでは、此小屋の行末も思ひやられます。
 囃子はやし方は三人、お石といふ四十がらみの大女が中心で、あとは子供ばかり。この貧しい輕業小屋が、江戸一番の盛り場で、兎も角もやつて行けたのは、お紋のきりやうと、磯五郎の藝のお蔭でせう。
 お紋が樂屋へ入つたのを見極めて、平次と八五郎は大急ぎでその後を追ひました。表の方は一としきり囃子はやしが勢ひ付いて、兩國中を引つ掻き廻すやうな騷音を立てて居ります。
「親分さん方、入らつしやいまし」
 お紋は派手な肩衣を外し乍ら、平次と八五郎を迎へてにつこりしました。近まさりするきりやうですが、舞臺で遠くから見るのと違つて、さすがに老けて居ります。どうかしたら三十を越して居るのかもわかりませんが、取なしが派手で、表情が大きいので、ひどく仇つぽく見えます。
「磯五郎が殺されて困ることだらうな」
 平次の問ひは平凡でした。
「え、急のことで、どうして宜いかわかりません。私は女でいざとなると役に立たないし、和吉さんは智惠者ですが、藝は一つも出來ず、――先の事を考へると眞つ暗な心持になつてしまひますよ」
 お紋は斯う言つた調子でした。錢形の平次も眼中にないと言つた、不敵さと言ふよりは、明けつ放しで正直一途で、物事に掛引のない證據とも見られます。
「お前は一日中舞臺へ出て居るのか」
「え、江戸中の皆樣が御存じで、晝の午刻こゝのつから、夕方の酉刻むつ過ぎを、お客樣の前に身體をさらして居ない日はありません。――去年の暮に風邪を引いた時と、半歳ばかり前の御停止ちやうじで二三日休んだ時の外は、何んの因果か、休む暇もない有樣で――」
 お紋は淋しく笑ふのです。暫らく舞臺は道化の北六がつないで居る樣子、小人數乍らドツと笑ふ聲が、此處まで聞えます。
「宿は何處だ」
「松永町に、お囃子のお石さんと二人住んでゐますよ」
配偶つれあひは?」
「ホ、ホ、私のやうな者に」
 お紋はまた淋しく笑ふのです。
「朝と晩は何をして居るんだ」
「まさか内職をして居るわけぢやございませんが、女ですから、針も持ち、お勝手にも立ちます」
「磯五郎の身持はどうだ」
「道樂強い方で、隨分諸方に迷惑をかけたやうでございます」
「女房はないのか」
「え、獨り者で、此裏の荒物屋の二階に、北六さんと一緒に暮して居りました」
 お紋はさう言ひ乍ら、欝陶うつたうしさうに島田髷のかつらを取るのでした。輕さうな鬘下で、キリリとした顏の道具がかへつて引立ち、肩衣を脱いだ胸のあたりの、ほのかな乳房のふくらみと不思議に魅力的な對照を見せて居ります。
 聲は藝人らしく少し皺枯しわがれたアルトですが、この女には何にか言ひやうのない、特異なものがあります。これが美しい子さらひの活躍する、夕方に小屋をあけて、四つ目や、中の郷や、濱町や、筋違すじかひまで遠出をする機會があつたら、平次は躊躇ちうちよもなく縛る氣になつたかも知れません。
「この手紙の筆蹟を知つて居るか」
 平次が煙草入から出したのは、例の八五郎が歌の文句のやうだと言つた、――子さらひの曲者を知り度かつたら兩國へお出で――と書いた手紙でした。
「あ、磯五郎の筆蹟ですよ、親分」
 お紋には何んの躊躇ちうちよ技巧ぎかうもありません。
「間違ひはないな」
「こんな下手な字ですもの、眞似ようたつて眞似られやしません」
「手きびしいな」
 平次もツイ苦笑ひしました。


「お前は?」
 樂屋の入口に居る青白い男、平次はそれを眼で呼びました。
「へエ、口上言ひの和吉と申しますが」
 腰の低い男です。擧げた顏を見ると左半分の大燒痕おほやけどで、右半面の好い男が、恐ろしくグロテスクに見えます。
「この一座には古いのか」
「一年ほどになります」
「もとは何處に居た」
「旅廻りの芝居に居りました。中村和吉と申しまして、へエ、その頃はまだ燒痕もございませんでしたので、へエ、――田舍芝居小屋で怪我をしました。へエ」
「磯五郎の殺されたことについて、思ひ當ることはないか」
「私には何んにもございません、――私と違つて磯五郎は氣の勝つた男でしたから、いろ/\敵も作つたことと存じます。へエ」
 腰が低くて要領が良いといふだけで、それ以上何んにもわかりません。
「お前の家は何處だ」
「この裏で――磯五郎さんや北六さんの住んで居る荒物屋の隣の駄菓子屋の二階に居ります。へエ」
 問答はそれつきりでした。やがて出の合圖があると、お紋と和吉は舞臺へ――、それと代つて道化の北六が樂屋へ來ましたが、これは少し智惠が足りないらしく、何を訊いても要領を得ません。二十貫近い肥つちよで、少しヨチヨチして居る樣子を見ると、子さらひにも磯五郎殺しにも關係があらうとは思はれなかつたのです。
 囃子はやし方のお石と木戸番の竹松にも逢つて見ましたが、二人共お紋同樣晝から宵まで小屋を動かないと判つて居るので、子さらひとは關係がなく、
「磯五郎さんは強氣でちよいと男もよかつたから、隨分敵も作りましたよ。――お紋さんと仲がよくないかつて? 御冗談で、お紋さんはしつかり者ですよ。磯五郎さんの方でチヨイチヨイからんだやうですが、あの人は藝人なんか、相手にしやしません。和吉さんですか――あれは利口者ですよ。役者も田舍廻りでは良い顏だつたといひますが、あの燒痕やけどぢや、舞臺の色事師もだらしがありません。氣の毒ですね」
 お石はこんな事を言ふのです。
 竹松は木戸で鹽辛聲を振り絞る外には何んの思案も智惠もない方。一と通り一座の者に逢ふと、船頭の金助の身許を洗はせましたが、これは近所の船宿にゴロゴロして居た船頭ですが、身持が惡くて三月ばかり前に追出されたとわかりました。
「八、來ないか。裏の荒物屋と駄菓子屋へ行つて見るが」
 平次は其邊を切上げて、お紋の小屋の裏へ行きました。
 磯五郎と北六の居る荒物屋といふのは、老夫婦の内職のやうな小さい店で、その二階に住んで居る磯五郎と北六は、よくもこれで人間が暮らせると思ふやうな徹底てつていした簡易生活です。
「磯五郎さんは――死んだ者の惡口をいふんぢやありませんが、そりや喰へない男でしたよ。それに比べると北六さんは佛樣で」
 荒物屋の亭主の話はこれ以上には出ません。
昨夜ゆうべは?」
「出たやうです、それつきり戻りません。今朝になつて、――磯五郎は何うした、小屋へ來ないが――と、和吉さんが迎ひに來て、二階に上つて見たやうですが、それから間もなく、柳橋の下にもやつた船の中で、死骸になつて居るのを見付けた者があります、――大騷ぎでございました」
「和吉が來たのは何刻頃だ」
巳刻よつ(十時)時分で――何時もそんなに早く小屋へは參りませんが、今日は新しい仕掛物の稽古けいこがあるんだと和吉さんが問はず語りに言つて居りました」
 荒物屋の老爺の話をそれくらゐにして、平次は磯五郎の荷物を出させました。小さい竹行李たけがうりがたつた一つ。ふたを開けて見ると、中は薄汚れた袷や小物で、恐ろしく貧乏臭いものばかりですが、不思議にドツシリした重さがあるので行李を引つくり返して見ると、底に隱して置いたらしい、鬱金木綿うこんもめんの財布がゾロリと落ちて來ました。ひもを解いて器の上にあけると、ザラザラと落ちたのは、吹き立ての小判が何んと三十枚、四方の調度や持物の貧しさに比べて、これは恐ろしい不調和な大金です。
「親分、――その鬱金うこん木綿の財布には、四つ目の砂田屋と丸判がしてありますね。三日前の晩、回向院前で砂田屋の主人が、さらはれた娘と引換へに、あつしの名をかたつた曲者に渡した財布ですよ。金額も丁度三十兩」
 八五郎はすつかり夢中になります。
「待て/\八、財布が出たからと言つて、磯五郎が曲者とは限るまい」
 平次は町役人を呼んで財布を預け、荒物屋を見張るやうに頼んで、隣の駄菓子屋に行きました。此處は六七人の大家族で、二階を一と間和吉に貸して居りますが、
「和吉さんはおだやかな良い人ですよ。――そりや、あの若さですもの、家にばかり居るわけぢやございません。時々は夜遊びにも出かけますが――え、え、昨夜も宵から出かけて仲町を一と廻りして來たと言つて、夜半前には歸りました。和吉さんはあまり金は持つて居ないやうですが、身仕舞の良い方で、私共に部屋代の迷惑はかけません。いつも――仲町へ行つても一とわたり張店を眺めて大引おほびけ前に歸るのがこちとらの贅澤さ、お大盡の眞似をする氣もないが、たまには廣い階子段を威勢よく上がつて見度くなるよ――と、そんな事を言つて居ります。でも時々は泊つて來ることもありますが――」
 駄菓子屋の親父の話を聽き乍ら、一とわたり和吉の荷物に目を通しましたが、小綺麗に整つて居るといふだけで、金目のものは一つもありません。
 其處から松永町のお紋とお石の巣へ。
 二人の女が一軒借りて小女を使つて住んで居りますが、小女は新米で何んにも知らず、近所附合もあまりないらしく、二人の職業さへ知らない有樣で、何も聽き出しやうもありません。
「お紋さんはお石さんと一緒に、暗くなつてから戻ります。――夜は時々和吉さんといふ方が來るだけで、エエ外へ出ることもないやうです。もつとも私は早く休まして貰ひますが」
 といふのが、小女の知つて居る全部でした。家の中は女世帶らしく小綺麗で、大した贅澤ではありませんが、住みよげに出來て居ります。現金のたくはへはほとんどなく、時々庭から出入りするらしく、ひどくその邊を踏み固めて居るのが眼につきます。


 この事件の解決は、至極簡單に見えて、思ひの外に困難でした。子さらひ事件と磯五郎と、お紋の小屋の間には、一脈の關係があることは明かですが、磯五郎が殺されてしまつては、手の下しやうもなかつたのです。
 一番怪しいお紋は、夕刻は小屋を離れることなどは思ひも寄らず、僞八五郎ではないかと思ふ和吉は、手拭の頬冠りくらゐでは、隱せさうもない大燒痕おほやけどで、誰に鑑定さしても人違ひです。
 あとは水ぶくれの北六、頭の惡さうな竹松、さびの上がつた中婆さんのお石では、どうにも子さらひの役者になりません。
 それでも平次は念のために、さらはれて歸つた子――四つ目の砂田屋の娘お春、中の郷の木津屋の娘お清、濱町の清川の妹娘お砂などをつれて、兩國のお紋の小屋の輕業を見物させましたが、三人が三人共、自分達を誘拐いうかいしたのはお紋ではないと言ひきるのです。
 にせ八五郎に金を渡した親達も小娘に伴れて來て、一々首實驗をさせましたが、和吉も竹松も北六も僞八五郎ではなく、尚ほ念のために見せた、船頭の金助と、磯五郎の死顏にも、全く見覺えがないといふのでした。
 僞八五郎は頬冠りはして居りましたが、強ひて顏を隱さうともせず、言葉少なではあつたが、啖呵たんかの切れる、良い男であつたといふのです。
 此處まで來ると事件はハタと行詰つてしまひます。
「何んか手掛りはないものでせうか、親分」
 八五郎の口惜しがるまいことか。
「ないよ。――相手は容易ならぬ曲者だ、――がこれだけの事は判る。綺麗な女の子をさらつたのは、親を強請ゆすつて金にする外に、身體の良いのは、輕業娘に仕立てて、田舍向の香具師やしに賣るつもりだらう。高いところから突き落したり、はりへブラさげたり、骨組を見たりするのは、そのためだ。輕業に向かないのは、親許に歸す代り、うんと金を強請ゆすつた」
 平次は靜かに言ひます。
「太てえぢやありませんか。そんなむごたらしい事をする奴は、どんな事をしても縛らなきや」
 八五郎はすつかり腹を立ててしまひました。
「縛るすべはたつた一つある」
「どうするんです。親分」
「お前はお紋の小屋へ毎日行つて、どんな細かい事でも見逃さずに、俺のところへ知らせることだ」
「へエ?」
「ことに、お紋と和吉の顏に氣をつけろ。二人の顏のしわ一筋、ほくろ一つ見極めるのだ」
「それや何んの禁呪まじなひです。親分」
「追々わかるよ。――それから、和吉は本當に仲町へ行くかどうか、夜出たら、そつと後をつけて見ろ。――もう一つ、――あの小屋に目立つて金費ひの荒い奴はないか」
 平次の話を半分に聽いて、ガラツ八の八五郎はとび出しました。
 それから五日目。
「親分、――何んにも變つたことがないので、すつかり御無沙汰しましたよ」
 ぼんやり歸つて來た八五郎は、全く精も根も盡きた姿です。
「何にかあるだらう」
 平次はそれでも何にか期待して居る樣子です。
「默つて舞臺を見て居るのも、隨分骨の折れる仕事ですね、――夜は和吉の宿の前で、毎晩頑張りましたが、四日も夜明しをさせて、何處へも出ないのは皮肉ぢやありませんか」
「五日目の晩は?」
「到頭出かけましたよ、昨夜遲くなつてからフラフラと出かけた和吉が何處へ行つたと思ひます。――仲町ぢやありませんよ」
「松永町だらう」
「あ、どうしてそれを」
「そして、お紋のところへ泊つて、今朝ぼんやり歸つて行つたらう」
「その通りですよ。あの二人はたゞの仲ぢやありませんね。――さう判ると何んの變哲もないが」
「いや、俺はそれが知り度かつたのだ。――他に氣の付いた事はないか」
 平次は問ひを進めました。
「金使ひの荒い奴なんかありやしません。よく/\皆んなケチな奴ばかりで」
「顏は?」
「毎日々々お紋と和吉の顏ばかり眺めて居ましたがね。――お紋の阿魔あまあつしが氣があると思つた樣子で、ウ、フ」
「馬鹿、そんな事を訊いてはしない」
「へエ、――それから、變ですよ。和吉の顏の赤い燒痕やけどの色が日によつて濃くなつたり薄くなつたり、少し大きくなつたり、小さくなつたりするぢやありませんか」
「本當か、それは」
「間違ひはありません」
「よし、俺はそれをお前の眼で見て貰ひ度かつたのだ。來い、八」
「何處へ行くんで?」
「子さらひの曲者と磯五郎と金助を殺した下手人を一ぺんに擧げさしてやるよ」
「有難てえ」
 二人は飛んで行きました。兩國のお紋の小屋へ――。
        ×      ×      ×
 平次と八五郎が乘込んだのはお紋の小屋。下つ引二三人を狩り出して、大骨折で縛つたのは、何んと大燒痕おほやけどの和吉、と美しい女太夫のお紋だつたのです。
 和吉の顏を濡れ手拭で拭くと。燒痕は綺麗に消えて、何んの傷もない良い男になります。これが旅役者の兇状持きやうじやうもちで、何んとかの和三郎と言つた大惡黨と判つたのは後のことです。
 二人を送つた歸り。
「サア判らねえ、お紋はどうして小屋を拔け出して子供をさらつたんです。――和吉があつしに化けて金を強請ゆすつたのはわかるが」
 八五郎は相變らず繪解きをせがみました。
「それが大間違ひだよ。綺麗な新造に化けて子供をさらつたのは、お紋ではなくて和吉だつたのさ――あれはなか/\腕の良い女形をやまだ。さらはれた子供達も――念入りに化粧した、髮の毛の多い綺麗な姉さん――と言つたらう。厚化粧で女形に化け、お紋が舞臺で使ふ鬘を借りて冠つたのだよ。顏の燒痕は書いたり消したり自由自在だ。着物はお紋のを借りたのさ」
 平次は面白さうに説明するのです。
あつしに化けて金を取つたのは?」
「それがあのお紋だ」
「へエ?」
「あの女は太い聲をして居るだらう。鬘下かつらしたに頬冠りをして、男姿になると夜眼では一寸女とわからないよ。――さらはれた子供達にお紋の首實驗をさせ、親達に和吉や磯五郎を鑑定させたのは大笑ひさ。二人共それを考へて、女が男に化け男が女になつたのだ。――尤も和吉の顏の燒痕は、兇状持の身分を隱すためだつたが――」
「それに二人は夫婦だつたんですね」
「その通りだよ。お紋と和吉が夫婦だとわかると、いろ/\のことがはつきりするぢやないか」
「磯五郎は?」
「和吉とお紋の惡事を嗅ぎつけて強請ゆすつたのさ。磯五郎が俺のところへ手紙を出したと氣が付いて急に仲間の船頭の金助を語らつて殺したが、金助の口から、ばれさうに思へたので、それを封ずるつもりで油斷を見すまして金助も殺したのだらう。あの和吉といふ奴は、優しさうに見えるが恐ろしい惡黨だ」
「へエ」
「その上和吉は翌る日の朝、稽古があると言つて磯五郎の宿へ行き、少し足らない北六の眼を誤魔化ごまかして、三十兩の財布を磯五郎の行李に投り込み、磯五郎に子さらひの罪をせようとしたのだ」
「惡い奴ですね」
「磯五郎はあんなに金に困つて居るから、三日前に手に入れた三十兩をつかはずに居る筈はないと思つたのがそも/\疑ひの緒口いとぐちだつたよ。和吉とお紋は贅澤に暮して居るくせに、金を持つて居ないのもをかしいと思つたし、和吉の燒痕が、どうも描いたものらしいと思つたから、お前に見張らせたのさ。――お紋とお石は同腹だらうが、小女は何んにも知るまい。お紋は夜中に僞八五郎に化けて、庭から脱出して居た樣子だ」
「――」
「だが、あれほどの惡黨でも情愛は別だな。お紋と和吉は矢張り五日と逢はずには居られなかつたのだ」
「でもお紋は良いきりやうでしたね」
「あのきりやうでも、子さらひをするやうぢや鬼だ。お前の名をかたつたのは氣紛きまぐれだらう。變な氣を起すなよ。八」
「へツ、冗談でせう」
 八五郎は極り惡さうにツルリと長んがい顏を撫でました。





底本:「錢形平次捕物全集第二十卷 狐の嫁入」同光社磯部書房
   1953(昭和28)年11月15日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋新社
   1947(昭和22)年9月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2016年3月4日作成
2017年3月4日修正
青空文庫作成ファイル:
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