「親分、是非逢ひ度いといふ人があるんだが――」
初冬の
「逢つてやりや宜いぢやねえか、遠慮することはあるめえ、――相手は
「あつしぢやありませんよ。錢形の親分に逢ひ度いんださうで、染井からわざ/\神田まで、馬に喰はせるほど握り飯を
八五郎は自分の肩越しに、
「堅い方だな、よく/\の事があつて遠方から來なすつたんだらう。
平次がさう言ふのも待たず、
「恐れ入りますが親分さん、私は此處で御免を
妙な苦笑ひと一緒に、
「其處でも構はないが、陽が當つて少し
「へエ、天道樣に照らし付けられるのは、馴れて居りますので」
「成程、さう言へば狹い家の中よりは、埃つぽい江戸の街中でも、外の方が氣持がよからう、――ところで、あつしに用事といふのは何だえ、
平次は煙草盆と座布圃を持つて、氣輕に縁側へ出て行きました。
「染井のお百姓で、仁兵衞さんといふんださうですよ。知合から知合を
八五郎はツイ手眞似になるのでした。
「お前は引込んで居ろ、馬鹿野郎。そんなに思ひ詰めて來なすつたんだ、冷かしたり何んかすると承知しないぞ」
「へエ」
「
「さうかね、見たところはそれほどでもないが、氣の毒なこつたね」
「へエツ、
八五郎はプイと横の方を向きました。
「さて、
「有難うございます。さう御親切にして頂くと私も染井くんだりから來た
「その文三さんとやらは、年は幾つで、何時、何處へ行きなすつたのだ」
「一年前、巣鴨
「武家奉公だな」
「武家と申しても、赤塚樣は豪士で、公方樣からも格別の御會釋のある家柄でございますが、江戸開府前からの土着で、別に何處からも
「其處へ下男奉公にでも出したといふのか」
「伜の文三はその時十九、百姓の子のくせに
「?」
「で、それにお手當が大變でございました。一本立の武家奉公でも、當節は年四兩の給金は上の部でございますが、赤塚樣では年に十兩の給金を出した上、支度金が三十兩」
「それはまた大層な氣張りやうだな」
その頃三十金と言へば、安
「私も
「それは又」
平次も挨拶に困りました。八五郎は鼻の下を長くして、眼をパチパチさせ乍ら、面白さうに聽いて居ります。
「その伜が、去年の秋奉公に上がつたきり、一年あまりになりますが、一度も家へ歸してもらへないのでございます。町家の小僧奉公でも、年に二度の
「誰がそんな事を指圖するのだ」
「御用人の
「で、その文三とやら、お前さんの息子さんから手紙くらゐは來るだらう」
「へエ、折々手紙は參ります。たしかに伜の
百姓仁兵衞が縁側の上にひろげたのは、半切一枚に書いた至つて簡單な手紙で、親が自慢するだけ筆跡もよく書いてありますが、文句は通り一ぺんの時候見舞と、私のことは心配してくれるな、主人は親切で、何んの不自由もない――といふだけ、さう思つて見ると誠に味も素氣もない、
「人に見張られ乍ら書いたやうな文句だな、――外に氣の付いた事はないのかな」
「折々手紙に添へて金を送つて參りましたが、五兩三兩の
「フム」
平次も腕を
「それだけなら、私も心配はいたしませんが、大阪へ行つてゐるといふ伜の姿を、私は此眼で、確かに見たのでございます」
「それは何時のことだ、場所は?」
「三日前でございました。伜は大阪へ行つて居ると言はれて、
「――」
「でも、私にはあれがどうしても伜の文三と思へてなりません。一應は若樣にお目にかゝり度いと
仁兵衞老爺は縁側に手をついて、折入つた樣子で頼み込むのでした。
「成程そいつは心配だらうが、旗本でも大名でもないと言つても、赤塚樣は江戸の名家だ。町方の御用聞が、いきなり踏込んで調べるわけにも行くまい。もう少し樣子を見ることにしては何うだ」
「へエ」
「その代り、少し心の足りない野郎だが、暫らくの間、八五郎に赤塚の屋敷を見張らせることにしては何うだ」
「へツ、少し足りない野郎でも、間に合ひますか、親分」
八五郎は
「まア、不足を言ふなよ。足りない樣な顏をして、相手に油斷をさせるのは、
「有難い仕合せで」
「さう願へれば、有難いことですが――幸ひ
「そいつは有難いね
「皆さんがさう仰しやいますで、へツへツ」
染井の百姓仁兵衞は、八五郎と一緒に出て行きました。これが世にも不思議な事件の
それから四日目、十一月の十三日のことでした。
「あ、驚いた。親分の
八五郎が寒天に大汗を掻いて飛込んだのです。
「何が始まつたんだ」
平次は
「殺しですよ。赤塚三右衞門の伜が殺されたんで――あ、あ、腹が減つた」
「
「今話しますよ。食ふのとしやべるのとは一緒には出來ませんよ、生憎口は一つだ」
「不自由な野郎ぢやないか。鼻で食ひ
「無理だね、親分」
食ひ續け乍らも八五郎は報告しました。
昨夜赤塚三右衞門の伜數馬が、月に浮かれたか、フラフラと庭に出たところを、何者とも知れぬ曲者に、背後から一と突きに突き殺されたといふのです。
「それをお前は見たのか」
「見付けたのは今朝だ。其儘家中の者の口を
八五郎の報告は
「朝飯を食はずに駈け付けたのを大層恩に着せるぢやないか、――ところで、旗本や大名とは違ふにしても、公方樣格別の御會釋といふ赤塚家だ。十手捕繩を振り廻して乘込むわけにも行くまい。お前は一と足先へ行つてくれ。俺は八丁堀へ廻つて、笹野の旦那のお供でもして行かう」
「それなら宜い鹽梅で、笹野の旦那(與力筆頭笹野新三郎)は明日の
「そいつは有難い」
平次は早速支度にかゝりました。
傳通院で笹野新三郎に逢ひ、三人道を急いで巣鴨
赤塚家は伜數馬の變死を、さすがに隱しきれなかつたものか、何んとなく物々しいたゝずまひですが、それでも
與力筆頭笹野新三郎が出役となれば、
「拙者は與力笹野新三郎」
「それは/\御苦勞に存じます。主人三右衞門は老病にて
土塀を
「ところで、御子息數馬殿不慮の御災難を
「此方にお出でを願ひ度い」
案内したのは二た間三間を隔てた奧でした。無言で唐紙を開けて、無言で指した一と間は、思ひきや至つて粗末な六疊で、型の如く廻した
「あれは?」
笹野新三郎以下三人の姿を見ると、屏風の中からハツと驚いたやうに立上がつて、アタフタと廊下に消えたのは、今まで泣いてゐたらしい、眼の覺めるやうな娘。それは十八九にもなるでせうか、身のこなしの
「當家の
久賀彌門はむづかしく答へました。
笹野新三郎の眼の合圖で、錢形平次は死骸の側に進みました。片手拜みに
「刄先に亂れも狂ひもありません。曲者は武藝の心得相當と見えます」
平次は獨り言のやうに言ひました。
「左樣か」
と新三郎。
殺された數馬といふのは、十九といふにしては少し老けて居りますが、細面の鼻の高い、眉の
「左の頬の
錢形平次の言葉は並居る人を驚かしました。若樣數馬の左の頬には目に立つほどの
「そんな事はございません。若樣はその黒子を大變氣になすつて、針で掘つて取らうとなすつたやうですから、その跡が刺青のやうに見えるので御座いませう」
久賀彌門の説明に、平次は大して耳を
「若樣は武藝などをおやりかな」
「いえ、生れ付き御病身で、武藝のお
「それでは百姓の仕事などは」
「とんでもないことで」
「それにしては手が荒れて居るやうだが――」
平次は死骸の指などを念入りに見て居りました。
久賀彌門の案内で、三人は數馬が殺されたあたりを見るために、庭へ出て見ました。
「戸締りはどうなつて居るだらう」
「嚴重でございます、――實は當赤塚家には、先代から
「その敵といふのは?」
笹野新三郎は聽耳を立てました。いや、用人久賀彌門の調子には、此
「何も彼も申上げた方が宜しいと存じます――、實は當主赤塚三右衞門には、三十年前
「――」
笹野新三郎も、錢形平次も默つてしまひました。三十年前、赤塚の娘と、その
「赤塚家の三人のお子樣、十次郎樣、織江樣は、今から三年前、半歳のうちに亡くなりました。十次郎樣は水死、
「――」
「後に殘つた、たつた一人の御跡取の數馬樣にも、いろ/\の災難が續きました、――例へば理由もなく往來で喧嘩をふつかけられたり、材木屋の路地を通るとき、いきなり頭の上へ材木が崩れて來たり、朝の御食事に、
「その怨みの相手といふのは?」
すかさず笹野新三郎が突つ込みました。
「申上げても一向に差支ないと存じます。――當家の主人三右衞門樣の
「それは何處に居られる」
「小石川駕籠町に浪宅を構へて居ると承はつてをります」
「あとで調べるがよい」
新三郎は平次を
「此邊でございました」
久賀彌門の指さしたあたり、末枯れた草が血を浴びて、紫色に光つて居る外は殆んど何んの變りもありません。
「數馬樣も時々は夜分獨りで外へ出られたんでせうね」
平次は誰へともなく訊きました。
「とんでもない。晝さへ
「すると誰か
「今夜の月は格別だ、少し寒いが――などと、宵のうちに彌太郎は申して居りましたが」
「彌太郎、――それは?」
「私の伜でございます。丁度其處へ參りました」
久賀彌門の引合せたのは、二十二三の
「父上、
彌太郎は植込みの奧の方を指さし乍ら、實は笹野新三郎や錢形平次に注意するやうに斯う言ふのでした。
「それは有難い。曲者の忍び込んだ場所がわかれば、又考へやうもあらう」
彌太郎に案内されて、深い植込みの中へ入ると、其邊は古い落葉が
「此通り」
指さしたあたり、成程土塀の上に置いた
「八、お前の肩を貸せ」
「何をやるんで?」
「塀の外を見度い」
八五郎は物馴れた調子で土塀にピタリと
「足跡でもあるんですか、親分」
「いや、草が深いから足跡は見えないが、俺は瓦の落ち具合を見たかつたんだ。案の定外には二三枚瓦が落ちただけだ、それも草の上へ落ちて居るから、一枚も割れて居ないよ」
平次はそんな事を言ひ乍ら、身輕に八五郎の肩から飛降ります。
「外に變つたことは?」
笹野新三郎が訊ねます。
「此邊に刄物があるやうな氣がしてなりません。八、來ないか」
「へエ」
平次は笹野新三郎と大塚の友吉を庭に殘して、八五郎と二人、ざつと土塀の内側を一と廻りしました。
「こんなことで刄物が見付かるでせうか、――それに曲者は武藝の出來る奴なら、刄物なんかを捨てて逃げる筈はないぢやありませんか」
深い葉や木立や
「いや、曲者は刄物を此邊に捨てた筈だ――捨てるとなれば、大方見當のあるものだ。誰にも思ひ付かれない、途方もないところに捨てたつもりでも、人間の考へには大方筋道がある。途方もないところほど見付け易いわけだ」
平次は門の外へ出ると、今度は土塀に添つて、草叢や畑をグルリと一と廻りします。
一度崩れた箇所の反對側へ出た時、
「八、その
平次の指さしたのは、塀の内から大きな
「こいつは驚いた、天眼通ですね、――ありましたよ、親分」
八五郎は葉に隱れた溝の中から、手頃の脇差を見付けて、
「拔いて見ろ」
「
「人を斬つた刄物だ、どれ」
平次はその脇差を受取ると、何やら八五郎に囁きます。
「染井へ行くんですか。え、一
「ぢや頼むぜ、俺はその間に駕籠町へ行つて來る」
「合點」
八五郎の氣の輕さ、其處から畑の中の
「この脇差を御存じで?」
平次が持つて來た濡れた一と腰、用人久賀彌門は一と眼見ると、サツと顏色を變へました。
「それは」
「誰の物でせう、御用人」
「確かに見覺えがある。當家を
「間違ひはありませんでせうね」
「間違ひはない」
久賀彌門の言葉には自信が
「私は一寸駕籠町まで行つて參りますが、旦那は
「宜からう」
平次の指圖に從つて、もう少し此事件の經過を見る氣でせう。笹野新三郎は大塚の友吉と一緒に出かけました。
それと別れて平次は、駕籠町に山浦甚六郎の浪宅を訪ねましたが、これは簡單にわかりました。
「拙者は山浦甚六郎だ。何んの用事か」
「昨夜赤塚樣の若樣數馬樣が殺されましたが、御存じですか」
平次の調子は
「聽いたよ。たつた獨りの子を氣の毒だな」
山浦甚六郎は
「旦那は大層赤塚樣を怨んで居なすつたさうですが」
「怨んで居るよ、赤塚の家督や
「もう一つ伺ひますが、旦那は昨夜、何處にいらつしやいました」
「ハツハツハツ、町方御用聞の
「恐れ入りました。ではもう一つ、此脇差に御見覺えはあるでせうか」
「どれ/\」
山浦甚六郎は濡れた脇差を受取つて、打ちかへし打ちかへし眺めて居りましたが、
「ある。これは赤塚家に傳はつた、
「?」
「拙者のは此通り此處にある。中身は
山浦甚六郎は、側にあつた自分の脇差を取つて平次に見せるのでした。濡れたのと濡れないのとの違ひはありますが、それは中身も
「有難うございました」
「もう歸るのか、家搜しでもしては何うだ。赤塚の三右衞門奴、伜を殺したのは、山浦甚六郎に相違ないとでも言つて居るだらう。馬鹿な奴だ、ハツハツハツ」
カラカラと笑ひ飛ばされて、平次は逃げ歸る外はなかつたのです。
番所に歸ると丁度染井から百姓仁兵衞を連れて八五郎も戻りました。
「サア、いよ/\
平次は先に立つて笹野新三郎始め八五郎、友吉、仁兵衞を赤塚家に案内します。
「下手人の當りは付いたのか、平次」
笹野新三郎は少し不安さうでした。
「
何やら平次には、腹の立つてたまらない樣子が見えるのです。
もう一度赤塚家へ戻ると、百姓仁兵衞が一緒に來たのを見て、用人久賀彌門、ひどく澁い顏をしました。が、笹野新三郎が附いて居るので、それをどうすることも出來ません。
奧の一と間、もとのまゝの死骸を置いてあるところへ來ると、
「
「へエ」
平次に言はれて、
「――」
ハツと息を呑んで、其まゝ死骸の顏に見入つて居るではありませんか。
「どうした、爺さん」
「伜ツ、――文三ツ。これ、どうしたのだ。誰がお前をこんな事にしたのだ」
仁兵衞はいきなり死骸の首を抱き上げると半狂亂の
「よつく見ろ、それは本當にお前の伜か、似て居てもさうでないかも知れないぞ」
平次は、側から乘出します。仁兵衞の表情心持の動き、
「――自分の伜を見違へて宜いものか、これは私の伜の文三に間違ひもないだ。――頬に
仁兵衞は若者の死骸を抱き乍ら、掻き
「御用人、これはどうした事だ」
平次は後ろに小くなつて居る久賀彌門を
「――」
「いくら家や主人が大事でも、顏形ちの似た
「――」
「侍も百姓も、子の可愛さに變りはないぜ。赤塚だか黒塚だか知らないが、
平次は何時にない威猛高だつたのです。
「平次それは先づ宜いとして、下手人は誰だ」
笹野新三郎は聽き兼ねて注意しました。
「身代りの若樣――文三を外へ
「――」
「まだありますよ。血染の脇差の始末に困つて
「それは誰だ」
「山浦甚六郎とかいふ浪人者は何んにも知りやしません。あれは若い時此家の主人と女の事で怨みを結んだか知れませんが、三十年經つてから、相手の伜を三人も殺すやうな惡黨ぢやありません、――皆んなさう思つたのは此方のひがみからで」
「では誰だ」
「その娘に訊いて下さい、――お駒とか言ひました。その娘さんは
娘お駒の視線に追はれて、パツと逃出した男は、八五郎の
「あツ伜」
それは用人久賀彌門の伜、彌太郎の追ひ詰められた狐のやうな顏だつたのです。