「親分、ちよいと智慧を貸して下さい。大變なものが無くなりましたよ」
ガラツ八の八五郎、相變らずのあわてた調子で、錢形平次の家へ飛び込みました。
江戸の夏を飾る年中行事も一わたり濟んで、この上は
「相變らず
「そんな下らない品ぢやありませんよ。日本にもたつた一つといふ金銀細工の懷ろ時計だ」
「何んだいそれは?」
「
「そんな物が一體どこにあつたんだ」
「京橋弓町の御時計師廣田利右衞門樣のところへ、公儀から御貸下になつて、これと同じものを作るやうに、と格別の言葉があつたといふ、世にも珍らしい懷ろ時計ですよ。
「それが何うしたといふんだよ、
平次に取つては
「龜の子ぢやあるめえし、時計は獨りぢや逃げ出しやしません。盜んだ野郎があるんで」
「成程」
「主人廣田利右衞門の寢間の用
八五郎は
「俺に謎々を掛けたつて、こゝぢや解けないよ。ところでその懷ろ時計を搜せといふのか、弟子の爲三郎を殺した下手人を擧げろといふのか」
「爲三郎なんか唯の奉公人で、殺されたつて化けて出る張合ひもない野郎だが、懷ろ時計はもつたいなくも上樣からのお預りの大事な品だ。無くなりましたで濟してゐるわけには行かない。出て來ないとなると御時計師廣田利右衞門は腹でも切らなきやならねえ」
「フ――ム」
「腹を切るのは痛いから、錢形の親分に頼んで搜し出して貰ひたい。首尾よく搜し出したら、大枚百兩の褒美を出さうと――」
「馬鹿野郎」
「小判で百枚ですよ、親分」
八五郎は少しヘドモドしました。平次の額には不連續線が走つて、物の言ひやうが少し荒つぽくなります。
「
「へエ」
「百兩の褒美が欲しいくらゐなら、
「へエ」
「――爲三郎なんか唯の奉公人だから、殺されても化けて出る張合ひもない――とは何んといふ罰の當つた言ひ草だ」
「――」
「百兩の褒美がそんなに有難きや、お前が行つて搜してやれ。その代り二度とこの路地を入ると、
「へエ」
平次の見幕の凄まじさに、八五郎は
「八さんが可哀想ぢやありませんか、あんなにポンポン言つて」
お靜はそつとお勝手から、物案じな顏を出しました。
「ハツハツハツハツ、野郎
さう言つた錢形平次でした。だから何時までも貧乏してゐるのを、女房のお靜は
平次は存分な
廣田利右衞門から支配頭へ即刻御時計紛失の屆出があつて、若年寄から町奉行へ、町奉行から與力笹野新三郎へ、そして笹野新三郎からその日のうちに、御時計の詮索は、錢形平次に命ぜられたのでした。
「畜生ツ、百兩稼ぐか」
平次は八五郎を
幕府の御時計師はどんなものであつたか、――こゝで考證らしいことを書くのを避けるとしても、大體のことだけは説明して置く必要があるでせう。
日本へ時計の傳はつたのは戰國時代で、外國から度々時計献上のあつたことは、古記録にも見えてをりますが、日本獨特の『和時計』を造つたのは、慶長元和の頃が最初で、それから次第に技術が進歩して、寛政年間には流行も技術も絶頂に達し、それから徳川期の末まで、このヤスリ一
が、明治以後便利で安價な外國時計の大量輸入と共に、和時計の製造は中止され。忘れる[#「中止され。忘れる」はママ]ともなく忘れ去られてをりましたが、その後、浮世繪や
昔の時計は自鳴鐘といふのが通り名で、掛時計、置時計、
こんなことは專門の著書を見れば簡單にわかることですが、殘念なことに多くの美術品と同樣、日本人の無理解のために、和時計の多くは海外に流出し、今は科學博物館に於ける
ヤスリ一梃の細工で、昔の百兩二百兩から千兩以上もしたといふ和時計。その古朴な美しい姿が、日本の國内で見られることの少なくなつたのは、まことに惜しみても餘りあることです。
それは兎も角、わが錢形平次が、弓町の廣田利右衞門の屋敷に乘込んだのは、最早その日の夕景近い頃でした。
「これは錢形の親分、御苦勞樣で」
廣田利右衞門は公儀御時計師には相違ないにしても、逢つて見ると職人
「飛んだ御災難で」
平次は簡單に挨拶を返しました。相手の身分で、態度を變へないのが、町方の御用聞の何よりの
「お時計紛失は容易ならぬことだが、それよりも
この老人の顏には、平次が豫想したとは全く反對に、時計の紛失にこだはるよりも、一人の内弟子を失つた悲しみの方が深刻に刻みつけられてゐるのでした。
「で、その時計を狙ふものの御心當りは?」
「?」
「御主人を怨む者とか、御時計師の株をどうにかしようとする者とか、――世間には隨分あり勝ちのことと思ひますが」
平次はさり氣なく訊ねました。これほどの事件を
「さア、――それが少しも解らない。私は若い時分から
さう聽けば尤も至極で、主人利右衞門にさしたる怨みがなく、時計師の株は動かせないものとなると、時計を盜んだのは單なる物慾と見る外はないのです。
「殺された爲三郎とやらは、どんな男でせう。身持や人柄は?」
「内弟子のことをかれこれ言つては惡いが、親分が探索のためとあれば致し方もあるまい、――實はあまり良い男とは申されないのぢやよ。仕事は相當で年季を入れただけの腕は確かだが、遊びと
利右衞門は氣がさしたものか、フツと口を
「で、そのお時計が紛失すれば、どんなことになりませう」
「左樣、お上の思召しにあることで、かれこれ先走つたことを申上げては惡いが、先づお係りの御重役は御とがめ、私は御時計師の株を召し上げられるか、御寛大な處置をお願ひしても隱居謹愼は免れますまい。本當ならば皺腹でも切つて御申譯するところだが――」
「それは」
平次も二の句が繼げませんでした。百兩の褒美と聽いて、散々反感を募らせながら來ましたが、この穩當で人柄な老人に逢つて見ると、勝手に腹を切りなさいとは言へなかつたのです。それに死んだ爲三郎に對して、並々ならぬ愛着を持つてゐさうなのが、ひどく錢形平次の心を動かしたのです。
「では御案内を」
平次が仕事場の現場を見たいと言ふと、主人の利右衞門は、自分の代りに手代の伊之助を呼びました。
これは三十前後の小氣のきいた男でした。色の淺黒い、立居振舞のハキハキした、鋭さと
仕事場は同じ屋根の下で、十疊ほどの板敷き。そこには神棚があつて、手先仕事だけに小綺麗に片付いてはをりますが、それでも金床や
爲三郎の死骸は、その中に一方の板壁寄りの、柱の下に横たへられてありました。今朝發見してから、ざつと一日このまゝにしてあるのは、隨分無情なやうではありますが、人一人殺された外に、お時計紛失といふ重大事件が
「八、何にか氣の付いたことはないか」
平次は自分の後ろに跟いて來た、長い顏を振り返りました。
「
少し長目の匕首を、刄を平にして乳の下へ、背中へ通るほど刺したのは、まことに容易の力ではありません。
「まだあるだらう」
「さア」
八五郎は鼻をふくらませます。
「
「さう言へばさうですね」
死骸の爲三郎といふのは二十八といふにしては
「これだけの男の胸へ、正面から匕首を柄まで叩き込むのは容易ぢやないよ。餘つ程力のある人間でなきや、側へ寄つても用心させない、極く親しい人間だらう」
「成程ね」
「まだ氣の付くことがあるだらう? 八」
「柱へ血が
「下から四尺くらゐのところだ――それから、燭臺の
「へエ」
「それに何にか燒くくらゐなら、持ち出して捨てる方が早いぜ」
「?」
「ところで、伊之助さん」
「ハイ」
平次は不意に案内して來た手代に聲を掛けました。
「昨夜泥棒はどこから入つたのだえ」
「こゝからは入れません。仕事場は大事なところで、締りも嚴重ですから」
「すると?」
「仕事場へ來る途中の廊下の戸が、外から一枚外されてをりました――丁度この邊ですが」
平次は伊之助の指さしたあたりを見てをりましたが、やがて八五郎に言ひ付けて、雨戸を丁寧に締めさせた上、自分だけ外へ出て、その嚴重らしく見える戸締りを、引いたり叩いたりしてをります。
「主人は戸締りのやかましい方でどこにも手落ちはなかつた筈ですが、家中でこゝの雨戸が一枚だけ、少しの加減で
伊之助は苦々しい顏で、その外れる雨戸を教へてくれます。成程そこは敷居が滅つた上、土臺が
平次はそれを十手でやつて見ましたが、
「成程こいつは不用心だ。餘つ程戸締りを嚴重にする人でも、これくらゐの手落ちには氣が付かないだらうよ、――ところで、毎日戸締りをするのは誰です」
「私か爲三郎で」
「もう一つ二つ訊きたいが――お上からお貸下の懷ろ時計は、何時から當家に留め置いた」
「三日前からでした」
「主人の用箪笥に入れてあることは、誰と誰が知つてゐるのだ」
「私は存じません、仕事が違ひますので。――それを知つてゐるのは、主人と主人の細工の手傳ひをする爲三郎と、養子の孫八さんと、お孃さんくらゐのものでせうか」
伊之助の答へには何んの
平次は八五郎に仕事場の中を念入りに搜すやうに言ひ付けました。天井も床下も、座布團の中も、
八五郎が猛然としてこの仕事に取りかゝるのを見ながら、平次はもう一度主人に逢つて見る氣になりました。
「何にか、御用で」
主人の利右衞門はこの騷ぎの中にも年寄らしい落着きを見せてをりました。
「今日どなたか外へ出たでせうか、――それから、外から來られた方は?」
「あの騷ぎを見付けたのは、雨戸を開けに行つた伊之助だが、それから多勢の者が出入りしましたよ。尤も家の者で外へ出たのは、お係りにお屆けするために、この私が出ただけで、あとは誰も出なかつたやうに思ふが」
「仕事場は?」
「あすこは締切つて誰も入れない。私と娘が二三度入つたきりだ」
「そのお孃樣にお目にかゝりたいのですが――」
「よからう」
主人の利右衞門は手をうつて下女を呼ぶと、娘に直ぐ來るやうにと申付けました。下女はお松と言つて四十前後の、確り者らしい女で、ほのかに殘る色香らしいものは、獨り者の主人利右衞門に對して、さゝやかな眼の保養のためかもわかりません。
「あの御用で?」
サヤサヤと絹摺れの音がして、十八九くらゐの娘が一人、縁側に指を突きました。
「――」
平次も一と目、ハツと息を呑んだほどの、それは素晴らしい美しさです。
緑の前髮の下に、眉がほのかに
「暫らく御遠慮をお願ひします」
平次は利右衞門に目配せすると、
「いかさま」
親の前ではさすがに言ひ
「お孃さん、昨夜何にかお氣づきのことは御座いませんか」
「いえ、何んにも」
お夏――それは娘の名でしたが、袖を持ち扱ひながらも答へははつきりしてをります。
「突つ込んだことを伺ひますが、親御樣の大事と思つて隱さずに仰しやつて下さい」
「ハイ」
「お孃さん、御縁談はどうなつてをります」
「あの、遠縁の者が、養子になることに話は
娘は、平次が心配したよりは、ハキハキしてをります。
「殺された内弟子の爲三郎は、お孃さんにうるさいことを申しませんでしたか」
「でも、私は」
お夏はひどく惱ましい顏をするのです。恐らくあの
「手代の伊之助は?」
「私は、でも、――あの人が怖いんですもの」
良い男の伊之助、如才がなくて愛嬌者でも、純潔な
「で、伊之助はどんなことを申すのです」
「私が承知をしなければ、心長く待つ外はない。でも、いつかはきつと私が好きになるに違ひない――と」
それだけのことを言ふのは、お夏に取つては精一杯の努力でせう。半分は口の中で、顏を隱した
「もう一つ、正直のことを仰しやつて下さい」
「――」
「あのお孃さんのお母樣は何時お
「三年前でございました」
「下女のお松が奉公に上がつたのは」
「三年ほど前――母が死んで不自由してゐる時。若い時こゝに奉公してゐたお松が、四十近くなつて
「御父樣の身の廻りの世話は、お孃樣がなさるので」
「いえ、松がみんなしてくれます」
「有難う、よくいろ/\なことを仰しやつて下さいました」
平次はこの娘の口から、精一杯のことを引出すと、もう一度主人に逢つて、家の中を一とわたり見せて貰ひました。
主人の寢間は奧の六疊で、夜分は恐らく下女のお松が、床の上げおろしまで世話をしてくれるのでせう。懷ろ時計を入れてゐた用箪笥といふのは、その枕許の床の間に据ゑたもので、餘つ程心得たものでなければ、こゝを狙つて盜んで行くことは不可能です。
その右隣は娘お夏の部屋で、主人の部屋を挾んで左隣は下女のお松の部屋。そのよく取片付けた小綺麗な部屋の樣子を見ただけでも、お松は唯の奉公人でないといふことはよくわかります。
「おや」
押入を開けると、中は思ひの外取亂して、針箱などが引つくり返つてゐるところなどは、決してあの取濟したお松のやりさうなことではありません。
「これはどうしたことだ」
平次が
「あの、少しばかり搜し物がありましたので、――それ、あのお時計が若しか
後ろから應へたのは、何時の間にやら跟いて來た、下女のお松の少しあわてた顏でした。
ほのかに白い物を塗つて、よく整つた眼鼻立、健康さうな皮膚の色、
「親分、仕事場には何んにもありませんよ」
飛び込んで來たのは八五郎でした。
「まアよからう、後で俺が調べる」
「その代りいろんなことを聽込んで來ましたよ」
縁側に平次を誘ひ出して、八五郎は遠慮もなく張り上げるのです。
「近所の衆が手傳ひに來てゐるんで、此方で默つてゐても向うから話してくれますよ。人間といふ奴は、知つてることを言はないと病氣にでもなると思つてゐるんですね」
「人間といふ奴は――と來たか、まるで道話を聽いてゐるやうだぜ。ところで、どんなことを聽込んだのだ」
「あの下女のお松といふのは、唯の奉公人ぢやないといふことです」
「それは俺も知つてゐる」
「若い時この家に奉公して、主人の手が付いて大騷ぎをしたことまでは御存じないでせう」
「それも見當はついてゐる」
「さすがに親分は早耳ですね、――二十何年も前のことださうですがね。亡くなつたお内儀がやかましく言つて、手當をして暇を出したが、その後、嫁に行つて亭主に死別れ、四十近くなつて獨りでゐるのを、同じやうに
「それも聽いた」
「主人はもう六十過ぎの年寄だが、お松はあの通り丈夫で若くて色つぽいから、主人はお時計作りよりその方が骨が折れるだらう――とこれは近所の衆の噂ですよ」
「馬鹿だなア」
平次に叱られると、八五郎は首を
「その他にもう一つ。殺された爲三郎はあの御面相で恐しく道樂強く、借金だらけで首も廻らなくなり、
「それは初耳だ」
「そのくせ辨天樣のやうなお孃さんに夢中で、その似姿を繪描きに描かせて、肌身離さず持つて歩いてゐたといふから大笑ひぢやありませんか」
「それも面白いな。もう一度御主人に逢つて見よう」
平次はひどく張りきつてをります。大方事件の山が見えたのでせう。
「時計作りのことを伺ひますが」
平次と利右衞門は三度び相對しました。夏の庭はすつかりたそがれて、どこからともなく蟲の聲が湧き起ります。
仕事場の方では、手代の伊之助が指圖して、近所の衆が
「それは家に傳はる仕事で、不審のことがあればお應へしよう。何んなりと」
利右衞門は自信に滿ちた顏を擧げます。六十を越したばかりといふにしては、體力的には衰へを感じさせますが、如何にも腕のある藝術家らしい寛容さと品位とがあります。
「この度公儀から御貸下の
「左樣、
それは當然のことでした。後の世に津輕の時計師九戸藤吉は、大時計を一つ造るのに、日數二千八百四十五日を費したといふ例があります。
「その間――」
「先づ
それは思ひも寄らぬ變つた世界の消息でした。時計一つ
「話は違ひますが、あの時計の入つてゐた用箪笥の
「今朝ほど、爲三郎が死んだ騷ぎの一寸前、眼を覺して、フト氣になることがあつて、用箪笥を見て驚いた始末ぢや」
「あのお部屋へ、夜中誰か忍び込んだのでせうか」
「それが出來れば魔法遣ひぢや。私とお松の寢てゐる部屋だ」
「宵には氣が付かなかつたので?」
「寢酒を過してな。何んにも知らずに寢てしまつたが、
「拔いて御覽になつたわけではないので」
「左樣、一寸外から眺めただけだ」
「――」
平次は默つて考へ込みました。
「ところで、何うだらうな親分。お時計の方は、せめて三日のうちに見付からなければ、代々續いた廣田の家も破滅だが」
「お時計は出て來ませう」
「何? 時計が出て來る」
平次の言葉の氣輕さに、利右衞門はつまゝれたやうな顏をしてをります。
「その前に一つ伺ひたいのは、養子になる筈の孫八さんとやらは、この騷ぎにも見えないやうですが、どうなさいました」
「少し私の氣に入らぬことがあつてな、親類の者に預けてあるのぢやよ」
「それは?」
「若い者の我儘ぢや。近頃遊びが過ぎるので、ツイ
「尤もなことで」
「その孫八の紙入が今朝庭に落ちてゐたと言ふ者があるが、それは私は取上げなかつた。五六日前までこゝに住んでゐた孫八の持物が、庭に落ちてゐたところで不思議はあるまい。孫八は少しばかり我儘だが、根が竹を割つたやうな良い男だ。この家へ忍び込んで大事なお時計を盜んだり、
主人利右衞門の眼は細くなります。仕事は嚴重でも、孫八に對する信頼と愛情とは少しも變らない樣子です。
「では、一刻も早くその孫八さんを呼び寄せて、明日にもお孃樣と祝言をさせると、家中の者に知らせてやつて下さい」
平次は大變なことを言ひ出します。
「何?」
「そして、お時計が見付かつた上は、隱居願ひをお係りに出して、お上の仕事は孫八にさせると、これもみんなに知らせた方が無事でございませう」
「それは何ういふわけだ、親分」
平次の話の途方もなさに、利右衞門はすつかり面喰つてをります。
「では、お目にかけませう。仕事場へお出で下さい」
平次が先に立つて、主人利右衞門、八五郎、娘のお夏、下女のお松、手代の伊之助まで、どこで聽いてゐたか、ゾロゾロと從ひました。
「八、お前は仕事場の中を念入りに搜したと言つたな」
平次は八五郎を顧みました。
「へエ、
「ところがお前が見落したところがあるのだよ、これだ」
平次はヅカヅカと大一番の
「あツ」
驚く人達の眼の前に、平次は鐘の中から
「これでせう、御主人」
「あ、有難い。それだ。誰がそんなことを」
振返る多勢の中からパツと飛び出した一人を、
「野郎ツ、神妙にしろ」
八五郎の
「輕少ながらお禮と、三方に載せて出した百兩の小判を押し返して、あつしは町方の御用聞だ、褒美や景物では仕事はしません。とポンと飛び出した時は、
宵闇の途を神田へと辿りながら、八五郎は話しかけました。
「實はな八、俺はあの百兩が欲しくて
「チエツ、そんな話は何年先かわかりませんよ。ところで、あのお時計を盜つたのは矢つ張り手代の伊之助ですか」
八五郎は相解らず繪解きをせがむのです。
「うんにや、あの寢部屋へ宵に入れるのはお松だけだ、時計を取つたのはお松だよ」
「へエ、それをあの女が鐘の中へ――」
「先を潜つちやいけねえ。お松は主人の利右衞門の身體を案じて時計を隱したのだよ。あの和蘭時計を手本に、別の懷ろ時計を一つ作るとなると、主人は又夢中になるに違ひない。そして精進
「へツ、嫌な婆アだね」
「お松はあさはかにもその時計を自分の部屋の押入に隱した。それを手代の伊之助が見付けて、そつと盜み出したのだ。お松の部屋の押入が法外にかき廻してあつたのは、時計がなくなつて驚いて、お松が自分でかき廻したのだよ」
「へエ、成程ね。それから爲三郎を殺して、雨戸を外して外から入つた泥棒のせゐにしようと
「又先走るな、爲三郎は殺されたのぢやない。あれは自害だよ」
「へエ」
「浴衣の胸をくつろげて、さアこゝを突いて下さいと殺される奴があるものか、殺された者なら浴衣の上から刺される筈だ」
「でも自分の手ぢやあんなに匕首の柄まで自分の胸に叩き込めませんよ」
「匕首を胸に突つ立てたまゝ、驅けて行つて柄に匕首の柱を叩き付けたのだよ。あの柱の下から四尺ほどの高さに、ひどく血が
「成る――」
「雨戸だつて、家中の雨戸でたつた一枚だけ外からはづせるのを知つてゐるのは、爲三郎と伊之助の外にないと言つたぢやないか、――フラリと來た泥棒が、そんな都合のいゝ雨戸をはづせるものか。それから燭臺の下に紙の燃えた灰のあつたのは、爲三郎が肌身につけてゐる、お夏の繪姿だよ、
「――」
「あの晩、お松の押入から時計を盜んだ伊之助は、仕事場で爲三郎が自害してゐるのを見ると、『しめた』と思つたに違ひない。あの野郎は智惠が廻るから、泥棒が入つて時計を盜んで爲三郎を殺したやうに見せかけ、口を
「何だつて伊之助は時計を盜んだんでせう」
「孫八の代りに、お夏の
「へエ、親分はそんな
「心得て置くがいゝ、若い女を變な眼で見たりすると、みんなこの俺に心の底まで見破られるとね」
「へツ、たまらねえなア」
十手をヒヨイと