錢形平次捕物控

御時計師

野村胡堂





「親分、ちよいと智慧を貸して下さい。大變なものが無くなりましたよ」
 ガラツ八の八五郎、相變らずのあわてた調子で、錢形平次の家へ飛び込みました。
 江戸の夏を飾る年中行事も一わたり濟んで、この上は抹香まつかう臭いお盆を待つばかりといふ頃。十日あまり照り續いた往來の土埃つちほこりを、少々長刀なぎなたになつた麻裏草履に蹴飛ばして、そのまゝ拭き込んだ上がりかまちに飛び上がるのですから、女房のお靜が雜巾を持つて飛んで來るのも無理のないことでした。
「相變らずおどかすぜ、何が一體無くなつたんだ。財布なら百文も入つちやゐまいし、煙草入なら煙管が目つかちで、かますがほころびてゐたし」
「そんな下らない品ぢやありませんよ。日本にもたつた一つといふ金銀細工の懷ろ時計だ」
「何んだいそれは?」
和蘭おらんだの國から献上になつて長崎奉行が早馬で江戸の上樣にお屆けしたといふ品ですよ」
「そんな物が一體どこにあつたんだ」
「京橋弓町の御時計師廣田利右衞門樣のところへ、公儀から御貸下になつて、これと同じものを作るやうに、と格別の言葉があつたといふ、世にも珍らしい懷ろ時計ですよ。大人おとなの手の平の中に隱れるほどの小さいもので、鍵さへ卷いて置けば、一日一と晩は請合うけあひ[#「請合うけあひひ」はママ]獨りで動いてゐるといふから、まるで活き物のやうな品ぢやありませんか」
「それが何うしたといふんだよ、自裂じれつたい野郎だな。俺は時計の有難味なんか聽いてやしないよ。その時計が這ひ出して下水へでも姿を隱したと言ふのか」
 平次に取つては摩訶まか不思議な時計の機構からくりよりも、その時計に附隨ふずゐして起つた、犯罪の方が大變だつたのです。
「龜の子ぢやあるめえし、時計は獨りぢや逃げ出しやしません。盜んだ野郎があるんで」
「成程」
「主人廣田利右衞門の寢間の用箪笥だんすが開いて、中を掻き廻した上、時計が無くなつてゐるし、仕事場では弟子の爲三郎といふのが、匕首あひくちで正面から胸を一と突きにやられて、あけに染んで死んでゐるとしたらどんなもので」
 八五郎はようやく事件の全貌を明かにしました。
「俺に謎々を掛けたつて、こゝぢや解けないよ。ところでその懷ろ時計を搜せといふのか、弟子の爲三郎を殺した下手人を擧げろといふのか」
「爲三郎なんか唯の奉公人で、殺されたつて化けて出る張合ひもない野郎だが、懷ろ時計はもつたいなくも上樣からのお預りの大事な品だ。無くなりましたで濟してゐるわけには行かない。出て來ないとなると御時計師廣田利右衞門は腹でも切らなきやならねえ」
「フ――ム」
「腹を切るのは痛いから、錢形の親分に頼んで搜し出して貰ひたい。首尾よく搜し出したら、大枚百兩の褒美を出さうと――」
「馬鹿野郎」
「小判で百枚ですよ、親分」
 八五郎は少しヘドモドしました。平次の額には不連續線が走つて、物の言ひやうが少し荒つぽくなります。
くそでも喰らへと言つて來い、――お前の作なら笑つて濟むが、御時計師廣田利右衞門が本氣でそんなことを言ふなら、時計は故郷戀しさに羽が生えて、生國の和蘭おらんだに飛んでかへつたに違ひないから、覺悟をきめて腹でも切るがよからうと、さう言つて來い」
「へエ」
「百兩の褒美が欲しいくらゐなら、はゞかりながら錢形平次、泥棒に商賣換へをして、人手にかけずに、自分でその時計を盜んで來ると言へ」
「へエ」
「――爲三郎なんか唯の奉公人だから、殺されても化けて出る張合ひもない――とは何んといふ罰の當つた言ひ草だ」
「――」
「百兩の褒美がそんなに有難きや、お前が行つて搜してやれ。その代り二度とこの路地を入ると、髷節まげぶし※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしり取つていわしを尻へ挾んで阿呆拂ひにしてやるから、覺悟しやがれ」
「へエ」
 平次の見幕の凄まじさに、八五郎は這々はふ/\の體で飛び出しました。長刀なぎなたになつた麻裏を懷ろにぢ込んで、四つん這ひになつて逃げ出すのが、まことに精一杯だつたのです。
「八さんが可哀想ぢやありませんか、あんなにポンポン言つて」
 お靜はそつとお勝手から、物案じな顏を出しました。
「ハツハツハツハツ、野郎跣足はだしで飛び出しやがつた――あれでいゝんだよ。御用聞が褒美に釣られてウロウロするやうぢや、江戸の町人が難儀をしなきやならねえ。それに人の命よりお時計の方が大事だなんて、聽いただけでもムカムカするぢやないか。あんな解らねえ野郎の仕事をするくらゐなら、俺は三文植木の世話でもするよ」
 さう言つた錢形平次でした。だから何時までも貧乏してゐるのを、女房のお靜はえんずる色もなく、靜かに納得して自分の職場――お勝手へ引下がります。


 平次は存分な啖呵たんかをきつて、良い心持になつて八五郎を追ひ返しましたが、事件はしかしそれだけでは濟まなかつたのです。
 廣田利右衞門から支配頭へ即刻御時計紛失の屆出があつて、若年寄から町奉行へ、町奉行から與力笹野新三郎へ、そして笹野新三郎からその日のうちに、御時計の詮索は、錢形平次に命ぜられたのでした。
「畜生ツ、百兩稼ぐか」
 平次は八五郎をれて、改めて京橋弓町に向つたのはその日の夕刻近い頃だつたのです。
 幕府の御時計師はどんなものであつたか、――こゝで考證らしいことを書くのを避けるとしても、大體のことだけは説明して置く必要があるでせう。
 日本へ時計の傳はつたのは戰國時代で、外國から度々時計献上のあつたことは、古記録にも見えてをりますが、日本獨特の『和時計』を造つたのは、慶長元和の頃が最初で、それから次第に技術が進歩して、寛政年間には流行も技術も絶頂に達し、それから徳川期の末まで、このヤスリ一ちやう古朴こぼくな――が美術的な時計細工は續きました。
 が、明治以後便利で安價な外國時計の大量輸入と共に、和時計の製造は中止され。忘れる[#「中止され。忘れる」はママ]ともなく忘れ去られてをりましたが、その後、浮世繪やつばや根附けや印籠と共に、外國人にその美術的價値を見出されて、今では好奇家の蒐集の對象として、世界的な地歩をさへ占むるに至りました。
 昔の時計は自鳴鐘といふのが通り名で、掛時計、置時計、やぐら時計、卦算けさん時計、印籠時計、枕時計などがあり、名古屋藩の津田助左衞門を始め、大藩には時計師を抱へた向きもありますが、何んと言つても日本の總元締は、武鑑にも出てゐる公儀御時計師廣田利右衞門で、京橋弓町に堂々たる屋敷を構へ、世々五十俵の祿ろくんで立派な士分として遇せられました。
 こんなことは專門の著書を見れば簡單にわかることですが、殘念なことに多くの美術品と同樣、日本人の無理解のために、和時計の多くは海外に流出し、今は科學博物館に於ける蒐集しうしふの外には、あまり市中で和時計の現物を見る機會もありません。
 ヤスリ一梃の細工で、昔の百兩二百兩から千兩以上もしたといふ和時計。その古朴な美しい姿が、日本の國内で見られることの少なくなつたのは、まことに惜しみても餘りあることです。
 それは兎も角、わが錢形平次が、弓町の廣田利右衞門の屋敷に乘込んだのは、最早その日の夕景近い頃でした。
「これは錢形の親分、御苦勞樣で」
 廣田利右衞門は公儀御時計師には相違ないにしても、逢つて見ると職人氣質かたぎのまことに氣持の良い老人でした。年の頃六十二三にもなるでせうか。
「飛んだ御災難で」
 平次は簡單に挨拶を返しました。相手の身分で、態度を變へないのが、町方の御用聞の何よりのほこりでしたが、廣田利右衞門の穩かな態度を見ると、忿々として來た平次もツイ打ち解けた調子になるのでした。
「お時計紛失は容易ならぬことだが、それよりも不憫ふびんなのは殺された爲三郎で御座るよ。十四の歳から二十八の今日まで奉公して、ようやく一人前の職人になつたところを、蟲のやうに殺されては可哀想でなりません」
 この老人の顏には、平次が豫想したとは全く反對に、時計の紛失にこだはるよりも、一人の内弟子を失つた悲しみの方が深刻に刻みつけられてゐるのでした。
「で、その時計を狙ふものの御心當りは?」
「?」
「御主人を怨む者とか、御時計師の株をどうにかしようとする者とか、――世間には隨分あり勝ちのことと思ひますが」
 平次はさり氣なく訊ねました。これほどの事件をき起すには、そこに容易ならぬたくらみがあるだらうと思つたのです。
「さア、――それが少しも解らない。私は若い時分からいさかひが嫌ひで、かりそめにも敵といふものを作らず、その上時計師の株は世襲で、外からいろ/\の細工をしたところで、これはどうにもなるものではない」
 さう聽けば尤も至極で、主人利右衞門にさしたる怨みがなく、時計師の株は動かせないものとなると、時計を盜んだのは單なる物慾と見る外はないのです。
「殺された爲三郎とやらは、どんな男でせう。身持や人柄は?」
「内弟子のことをかれこれ言つては惡いが、親分が探索のためとあれば致し方もあるまい、――實はあまり良い男とは申されないのぢやよ。仕事は相當で年季を入れただけの腕は確かだが、遊びとかけ事が好きで、その上――」
 利右衞門は氣がさしたものか、フツと口をつぐみました。
「で、そのお時計が紛失すれば、どんなことになりませう」
「左樣、お上の思召しにあることで、かれこれ先走つたことを申上げては惡いが、先づお係りの御重役は御とがめ、私は御時計師の株を召し上げられるか、御寛大な處置をお願ひしても隱居謹愼は免れますまい。本當ならば皺腹でも切つて御申譯するところだが――」
「それは」
 平次も二の句が繼げませんでした。百兩の褒美と聽いて、散々反感を募らせながら來ましたが、この穩當で人柄な老人に逢つて見ると、勝手に腹を切りなさいとは言へなかつたのです。それに死んだ爲三郎に對して、並々ならぬ愛着を持つてゐさうなのが、ひどく錢形平次の心を動かしたのです。


「では御案内を」
 平次が仕事場の現場を見たいと言ふと、主人の利右衞門は、自分の代りに手代の伊之助を呼びました。
 これは三十前後の小氣のきいた男でした。色の淺黒い、立居振舞のハキハキした、鋭さと如才じよさいなさと、誰にでも好感を持たせる機智と愛嬌の持主らしく見えます。
 仕事場は同じ屋根の下で、十疊ほどの板敷き。そこには神棚があつて、手先仕事だけに小綺麗に片付いてはをりますが、それでも金床やふいごや大小のやすりたがねやがいろ/\の材料と共に配置され、未完成の大きいやぐら時計が三つと、置時計の修繕物が三つ、部屋の隅に片寄せてあるのです。
 爲三郎の死骸は、その中に一方の板壁寄りの、柱の下に横たへられてありました。今朝發見してから、ざつと一日このまゝにしてあるのは、隨分無情なやうではありますが、人一人殺された外に、お時計紛失といふ重大事件がからんでゐるために、せめて錢形平次に現場を見屆けさせるまでと、笹野新三郎の入智惠でこゝへはあまり人も入れず、寸毫すんがうも模樣を變へないやうにしてゐるのだ――と、これは伊之助の説明でした。
「八、何にか氣の付いたことはないか」
 平次は自分の後ろに跟いて來た、長い顏を振り返りました。
匕首あひくちつかまで胸に突つ立ててゐるのは、恐しい力ですね」
 少し長目の匕首を、刄を平にして乳の下へ、背中へ通るほど刺したのは、まことに容易の力ではありません。
「まだあるだらう」
「さア」
 八五郎は鼻をふくらませます。
浴衣ゆかたの胸をはだけて刺されてゐるのを、お前は變だとは思はないか」
「さう言へばさうですね」
 死骸の爲三郎といふのは二十八といふにしてはけた、どつちかと言へばみにくい男で、柄の大きい、力のありさうな恰幅や、純情家らしい、顏の道具立ての大きいのなどが注目されます。
「これだけの男の胸へ、正面から匕首を柄まで叩き込むのは容易ぢやないよ。餘つ程力のある人間でなきや、側へ寄つても用心させない、極く親しい人間だらう」
「成程ね」
「まだ氣の付くことがあるだらう? 八」
「柱へ血が飛沫ひぶいてゐますね」
「下から四尺くらゐのところだ――それから、燭臺の蝋燭らふそくが少しともつただけで消えてゐる。その下に紙を燒いた灰があるだらう――泥棒が灯を消して行くのは丁寧過ぎやしないか」
「へエ」
「それに何にか燒くくらゐなら、持ち出して捨てる方が早いぜ」
「?」
「ところで、伊之助さん」
「ハイ」
 平次は不意に案内して來た手代に聲を掛けました。
「昨夜泥棒はどこから入つたのだえ」
「こゝからは入れません。仕事場は大事なところで、締りも嚴重ですから」
「すると?」
「仕事場へ來る途中の廊下の戸が、外から一枚外されてをりました――丁度この邊ですが」
 平次は伊之助の指さしたあたりを見てをりましたが、やがて八五郎に言ひ付けて、雨戸を丁寧に締めさせた上、自分だけ外へ出て、その嚴重らしく見える戸締りを、引いたり叩いたりしてをります。
「主人は戸締りのやかましい方でどこにも手落ちはなかつた筈ですが、家中でこゝの雨戸が一枚だけ、少しの加減ではづれるやうになつてをります。敷居がれ滅つたせゐでせう」
 伊之助は苦々しい顏で、その外れる雨戸を教へてくれます。成程そこは敷居が滅つた上、土臺がゆるんで、のみか小刀か、せめて金槌かなづちでもあれば、樂に戸が外せるやうになつてゐるのでした。
 平次はそれを十手でやつて見ましたが、
「成程こいつは不用心だ。餘つ程戸締りを嚴重にする人でも、これくらゐの手落ちには氣が付かないだらうよ、――ところで、毎日戸締りをするのは誰です」
「私か爲三郎で」
「もう一つ二つ訊きたいが――お上からお貸下の懷ろ時計は、何時から當家に留め置いた」
「三日前からでした」
「主人の用箪笥に入れてあることは、誰と誰が知つてゐるのだ」
「私は存じません、仕事が違ひますので。――それを知つてゐるのは、主人と主人の細工の手傳ひをする爲三郎と、養子の孫八さんと、お孃さんくらゐのものでせうか」
 伊之助の答へには何んの澁滯じふたいもありません。


 平次は八五郎に仕事場の中を念入りに搜すやうに言ひ付けました。天井も床下も、座布團の中も、ふいごの中も、少しの手落ちもなくといふ註文です。
 八五郎が猛然としてこの仕事に取りかゝるのを見ながら、平次はもう一度主人に逢つて見る氣になりました。
「何にか、御用で」
 主人の利右衞門はこの騷ぎの中にも年寄らしい落着きを見せてをりました。
「今日どなたか外へ出たでせうか、――それから、外から來られた方は?」
「あの騷ぎを見付けたのは、雨戸を開けに行つた伊之助だが、それから多勢の者が出入りしましたよ。尤も家の者で外へ出たのは、お係りにお屆けするために、この私が出ただけで、あとは誰も出なかつたやうに思ふが」
「仕事場は?」
「あすこは締切つて誰も入れない。私と娘が二三度入つたきりだ」
「そのお孃樣にお目にかゝりたいのですが――」
「よからう」
 主人の利右衞門は手をうつて下女を呼ぶと、娘に直ぐ來るやうにと申付けました。下女はお松と言つて四十前後の、確り者らしい女で、ほのかに殘る色香らしいものは、獨り者の主人利右衞門に對して、さゝやかな眼の保養のためかもわかりません。
「あの御用で?」
 サヤサヤと絹摺れの音がして、十八九くらゐの娘が一人、縁側に指を突きました。
「――」
 平次も一と目、ハツと息を呑んだほどの、それは素晴らしい美しさです。
 緑の前髮の下に、眉がほのかにかすんで、少し肉感的な血色の良い頬や、魅惑的なあごの丸み、紅い唇の美しい曲線など、極めて現世的なものを緩和してをります。
「暫らく御遠慮をお願ひします」
 平次は利右衞門に目配せすると、
「いかさま」
 親の前ではさすがに言ひにくいこともあらうかと、利右衞門は氣輕に座を外します。
「お孃さん、昨夜何にかお氣づきのことは御座いませんか」
「いえ、何んにも」
 お夏――それは娘の名でしたが、袖を持ち扱ひながらも答へははつきりしてをります。
「突つ込んだことを伺ひますが、親御樣の大事と思つて隱さずに仰しやつて下さい」
「ハイ」
「お孃さん、御縁談はどうなつてをります」
「あの、遠縁の者が、養子になることに話はまとまりかけてをりますが」
 娘は、平次が心配したよりは、ハキハキしてをります。
「殺された内弟子の爲三郎は、お孃さんにうるさいことを申しませんでしたか」
「でも、私は」
 お夏はひどく惱ましい顏をするのです。恐らくあの醜男ぶをとこで不身持な爲三郎が、この娘にどんなにうるさく言ひ寄つたことか、平次にはよくわかるやうな氣がしたのです。
「手代の伊之助は?」
「私は、でも、――あの人が怖いんですもの」
 良い男の伊之助、如才がなくて愛嬌者でも、純潔な處女をとめ心には、怖いものに映る何にかを持つてゐるのでせう。
「で、伊之助はどんなことを申すのです」
「私が承知をしなければ、心長く待つ外はない。でも、いつかはきつと私が好きになるに違ひない――と」
 それだけのことを言ふのは、お夏に取つては精一杯の努力でせう。半分は口の中で、顏を隱したたもとの中へ消えてしまひます。
「もう一つ、正直のことを仰しやつて下さい」
「――」
「あのお孃さんのお母樣は何時おくなりになりました」
「三年前でございました」
「下女のお松が奉公に上がつたのは」
「三年ほど前――母が死んで不自由してゐる時。若い時こゝに奉公してゐたお松が、四十近くなつて配偶つれあひに死に別れ、一人で暮らしてゐると聽いて、父が呼び寄せました」
「御父樣の身の廻りの世話は、お孃樣がなさるので」
「いえ、松がみんなしてくれます」
「有難う、よくいろ/\なことを仰しやつて下さいました」
 平次はこの娘の口から、精一杯のことを引出すと、もう一度主人に逢つて、家の中を一とわたり見せて貰ひました。
 主人の寢間は奧の六疊で、夜分は恐らく下女のお松が、床の上げおろしまで世話をしてくれるのでせう。懷ろ時計を入れてゐた用箪笥といふのは、その枕許の床の間に据ゑたもので、餘つ程心得たものでなければ、こゝを狙つて盜んで行くことは不可能です。
 その右隣は娘お夏の部屋で、主人の部屋を挾んで左隣は下女のお松の部屋。そのよく取片付けた小綺麗な部屋の樣子を見ただけでも、お松は唯の奉公人でないといふことはよくわかります。
「おや」
 押入を開けると、中は思ひの外取亂して、針箱などが引つくり返つてゐるところなどは、決してあの取濟したお松のやりさうなことではありません。
「これはどうしたことだ」
 平次があきれてるのへ、
「あの、少しばかり搜し物がありましたので、――それ、あのお時計が若しかまぎれ込んではしないかと思ひまして――」
 後ろから應へたのは、何時の間にやら跟いて來た、下女のお松の少しあわてた顏でした。
 ほのかに白い物を塗つて、よく整つた眼鼻立、健康さうな皮膚の色、あぶらの乘つた四肢てあしなどを見ると、この更年期の女は、充分色つぽくもあり、そして肉感的でもあります。
「親分、仕事場には何んにもありませんよ」
 飛び込んで來たのは八五郎でした。
「まアよからう、後で俺が調べる」
「その代りいろんなことを聽込んで來ましたよ」
 縁側に平次を誘ひ出して、八五郎は遠慮もなく張り上げるのです。
「近所の衆が手傳ひに來てゐるんで、此方で默つてゐても向うから話してくれますよ。人間といふ奴は、知つてることを言はないと病氣にでもなると思つてゐるんですね」
「人間といふ奴は――と來たか、まるで道話を聽いてゐるやうだぜ。ところで、どんなことを聽込んだのだ」
「あの下女のお松といふのは、唯の奉公人ぢやないといふことです」
「それは俺も知つてゐる」
「若い時この家に奉公して、主人の手が付いて大騷ぎをしたことまでは御存じないでせう」
「それも見當はついてゐる」
「さすがに親分は早耳ですね、――二十何年も前のことださうですがね。亡くなつたお内儀がやかましく言つて、手當をして暇を出したが、その後、嫁に行つて亭主に死別れ、四十近くなつて獨りでゐるのを、同じやうに配偶つれあひに死なれたこの家の御主人がよりを戻して引取つたさうですよ」
「それも聽いた」
「主人はもう六十過ぎの年寄だが、お松はあの通り丈夫で若くて色つぽいから、主人はお時計作りよりその方が骨が折れるだらう――とこれは近所の衆の噂ですよ」
「馬鹿だなア」
 平次に叱られると、八五郎は首をちゞめてペロリと舌を出しました。
「その他にもう一つ。殺された爲三郎はあの御面相で恐しく道樂強く、借金だらけで首も廻らなくなり、謀判ぼうはん(詐欺)かなんかに掛り合つて、この家を追ん出されさうになつてゐたさうですよ」
「それは初耳だ」
「そのくせ辨天樣のやうなお孃さんに夢中で、その似姿を繪描きに描かせて、肌身離さず持つて歩いてゐたといふから大笑ひぢやありませんか」
「それも面白いな。もう一度御主人に逢つて見よう」
 平次はひどく張りきつてをります。大方事件の山が見えたのでせう。


「時計作りのことを伺ひますが」
 平次と利右衞門は三度び相對しました。夏の庭はすつかりたそがれて、どこからともなく蟲の聲が湧き起ります。
 仕事場の方では、手代の伊之助が指圖して、近所の衆が掃除さうぢやら佛の始末やらに働いてゐる樣子。右隣の娘の部屋には灯が入りましたが、左隣のお松の部屋は、たそがるゝまゝに靜まり返つて、ものの氣はひもありません。
「それは家に傳はる仕事で、不審のことがあればお應へしよう。何んなりと」
 利右衞門は自信に滿ちた顏を擧げます。六十を越したばかりといふにしては、體力的には衰へを感じさせますが、如何にも腕のある藝術家らしい寛容さと品位とがあります。
「この度公儀から御貸下の和蘭おらんだ時計と同じのものを造るとしたら、細工に何日くらゐかゝりませうか」
「左樣、やすり一梃のこん仕事だから、先づ一生懸命に打ち込んでも、延べにして一千日――つまり一人の力では三年くらゐかゝりませう」
 それは當然のことでした。後の世に津輕の時計師九戸藤吉は、大時計を一つ造るのに、日數二千八百四十五日を費したといふ例があります。
「その間――」
「先づ精進潔齋しやうじんけつさいして仕事をするのだが、尤も私一人ではない。養子に迎へる筈の遠縁の廣田孫八、内弟子の死んだ爲三郎にも手傳はせるとして、二年くらゐはかゝりませうか」
 それは思ひも寄らぬ變つた世界の消息でした。時計一つやすりで刻み出すのに人間の力を二年かけなければならぬとは、何んといふ馬鹿々々しくも氣の遠くなる根仕事こんしごとでせう。
「話は違ひますが、あの時計の入つてゐた用箪笥の抽斗ひきだしの亂れは何時氣が付きました」
「今朝ほど、爲三郎が死んだ騷ぎの一寸前、眼を覺して、フト氣になることがあつて、用箪笥を見て驚いた始末ぢや」
「あのお部屋へ、夜中誰か忍び込んだのでせうか」
「それが出來れば魔法遣ひぢや。私とお松の寢てゐる部屋だ」
「宵には氣が付かなかつたので?」
「寢酒を過してな。何んにも知らずに寢てしまつたが、抽斗ひきだしには變りはなかつた樣だ」
「拔いて御覽になつたわけではないので」
「左樣、一寸外から眺めただけだ」
「――」
 平次は默つて考へ込みました。
「ところで、何うだらうな親分。お時計の方は、せめて三日のうちに見付からなければ、代々續いた廣田の家も破滅だが」
「お時計は出て來ませう」
「何? 時計が出て來る」
 平次の言葉の氣輕さに、利右衞門はつまゝれたやうな顏をしてをります。
「その前に一つ伺ひたいのは、養子になる筈の孫八さんとやらは、この騷ぎにも見えないやうですが、どうなさいました」
「少し私の氣に入らぬことがあつてな、親類の者に預けてあるのぢやよ」
「それは?」
「若い者の我儘ぢや。近頃遊びが過ぎるので、ツイこは意見をすると、――それならば、娘のお夏と一日も早く一緒にしてくれ――と申すのぢや」
「尤もなことで」
「その孫八の紙入が今朝庭に落ちてゐたと言ふ者があるが、それは私は取上げなかつた。五六日前までこゝに住んでゐた孫八の持物が、庭に落ちてゐたところで不思議はあるまい。孫八は少しばかり我儘だが、根が竹を割つたやうな良い男だ。この家へ忍び込んで大事なお時計を盜んだり、朋輩ほうばいの爲三郎を殺すやうな、そんな惡い人間ではない。それは確かだ。親類へ預けてあるのも、孫八が可愛いからの仕置だ」
 主人利右衞門の眼は細くなります。仕事は嚴重でも、孫八に對する信頼と愛情とは少しも變らない樣子です。
「では、一刻も早くその孫八さんを呼び寄せて、明日にもお孃樣と祝言をさせると、家中の者に知らせてやつて下さい」
 平次は大變なことを言ひ出します。
「何?」
「そして、お時計が見付かつた上は、隱居願ひをお係りに出して、お上の仕事は孫八にさせると、これもみんなに知らせた方が無事でございませう」
「それは何ういふわけだ、親分」
 平次の話の途方もなさに、利右衞門はすつかり面喰つてをります。
「では、お目にかけませう。仕事場へお出で下さい」
 平次が先に立つて、主人利右衞門、八五郎、娘のお夏、下女のお松、手代の伊之助まで、どこで聽いてゐたか、ゾロゾロと從ひました。
「八、お前は仕事場の中を念入りに搜したと言つたな」
 平次は八五郎を顧みました。
「へエ、はゞかりながらこの中には懷ろ時計のトの字もありませんよ。大櫓時計や置時計は別だが」
「ところがお前が見落したところがあるのだよ、これだ」
 平次はヅカヅカと大一番のやぐら時計の前に進むと、自鳴鐘じめいしようといふ名の由來する、ピラミツド型の櫓の上に伏せた恰好になつた、かなり大きい鐘の中に手を入れたのです。
「あツ」
 驚く人達の眼の前に、平次は鐘の中から※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしり取つた物を突きつけるのです。それはまぎれもなく金銀で飾つた見事な和蘭おらんだ時計で、無二膏むにかうでベツトリと鐘の内側に貼り付けて置いたのは驚くべき企みでした。
「これでせう、御主人」
「あ、有難い。それだ。誰がそんなことを」
 振返る多勢の中からパツと飛び出した一人を、
「野郎ツ、神妙にしろ」
 八五郎の糞力くそぢからがガツキと組み留めたのです。言ふまでもなくそれは、手代の伊之助の狐のやうな惡賢い顏でした。


「輕少ながらお禮と、三方に載せて出した百兩の小判を押し返して、あつしは町方の御用聞だ、褒美や景物では仕事はしません。とポンと飛び出した時は、溜飮りういんが下がつたぜ、親分」
 宵闇の途を神田へと辿りながら、八五郎は話しかけました。
「實はな八、俺はあの百兩が欲しくてかなはなかつたのよ。三つ溜つた家賃を拂つて、殘りは八に祝言をさせる入費にする」
「チエツ、そんな話は何年先かわかりませんよ。ところで、あのお時計を盜つたのは矢つ張り手代の伊之助ですか」
 八五郎は相解らず繪解きをせがむのです。
「うんにや、あの寢部屋へ宵に入れるのはお松だけだ、時計を取つたのはお松だよ」
「へエ、それをあの女が鐘の中へ――」
「先を潜つちやいけねえ。お松は主人の利右衞門の身體を案じて時計を隱したのだよ。あの和蘭時計を手本に、別の懷ろ時計を一つ作るとなると、主人は又夢中になるに違ひない。そして精進潔齋けつさいとやらで、一年も二年も自分に構つてくれないに違ひないと思つたのだ」
「へツ、嫌な婆アだね」
「お松はあさはかにもその時計を自分の部屋の押入に隱した。それを手代の伊之助が見付けて、そつと盜み出したのだ。お松の部屋の押入が法外にかき廻してあつたのは、時計がなくなつて驚いて、お松が自分でかき廻したのだよ」
「へエ、成程ね。それから爲三郎を殺して、雨戸を外して外から入つた泥棒のせゐにしようとたくらんだわけですね」
「又先走るな、爲三郎は殺されたのぢやない。あれは自害だよ」
「へエ」
「浴衣の胸をくつろげて、さアこゝを突いて下さいと殺される奴があるものか、殺された者なら浴衣の上から刺される筈だ」
「でも自分の手ぢやあんなに匕首の柄まで自分の胸に叩き込めませんよ」
「匕首を胸に突つ立てたまゝ、驅けて行つて柄に匕首の柱を叩き付けたのだよ。あの柱の下から四尺ほどの高さに、ひどく血が飛沫ひぶいてゐたらう」
「成る――」
「雨戸だつて、家中の雨戸でたつた一枚だけ外からはづせるのを知つてゐるのは、爲三郎と伊之助の外にないと言つたぢやないか、――フラリと來た泥棒が、そんな都合のいゝ雨戸をはづせるものか。それから燭臺の下に紙の燃えた灰のあつたのは、爲三郎が肌身につけてゐる、お夏の繪姿だよ、謀判ぼうはんで縛られさうになつてゐるし、借金で首は廻らない。その上お夏にはひどく嫌はれて、フラフラと死ぬ氣になつたんだらう。爲三郎は繪姿を燒いてお夏と心中する心持になつたのだよ」
「――」
「あの晩、お松の押入から時計を盜んだ伊之助は、仕事場で爲三郎が自害してゐるのを見ると、『しめた』と思つたに違ひない。あの野郎は智惠が廻るから、泥棒が入つて時計を盜んで爲三郎を殺したやうに見せかけ、口をぬぐつて素知らぬ顏をしてゐたのだ」
「何だつて伊之助は時計を盜んだんでせう」
「孫八の代りに、お夏の婿むこになる氣だつたのさ。あはよくば孫八を罪におとす氣で紙入なんか庭へ捨てて置いたんだが、それがいけなければ、時計を搜し出すのを手柄に、主人を口説き落してお夏を手に入れるつもりだつたに違ひない――あのお夏を見る眼付きは尋常でなかつたよ」
「へエ、親分はそんな鑑定めきゝまでするんですか」
「心得て置くがいゝ、若い女を變な眼で見たりすると、みんなこの俺に心の底まで見破られるとね」
「へツ、たまらねえなア」
 十手をヒヨイとかつぐと、八五郎は一とくさりそゝる恰好になるのです。それはこの上もなくさはやかな夏の夜でした。





底本:「錢形平次捕物全集第二十五卷 火の呪ひ」同光社
   1954(昭和29)年5月10日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋新社
   1948(昭和23)年7月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2016年10月28日作成
2017年3月4日修正
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