錢形平次捕物控

お六の役目

野村胡堂





「あ、八五郎親分ぢやありませんか」
 江の島へ行つた歸り、遲くもないのに、土藏相模どざうさがみで一と晩遊んだ町内の若い者が五六人、スツカラカンになつて、高輪たかなわの大木戸を越すと、いきなり聲を掛けたものがあります。
「誰だい、俺を呼んだのは」
 振り返ると、海から昇つた朝陽を浴びて、バタバタと驅けて來た女が一人、一行の前に廻つて、大手を擴げるではありませんか。
巴屋ともゑやのお六よ、忘れたぢや濟まないでせう。家は、大變な騷ぎ」
 女は早立ちの旅人が、眼をそばだてるのも構はず、八五郎のたもとを取つてグイグイと引くのです。
「待つてくれ、無闇に引つ張ると、袖口がほころびる。家へ歸ると、叔母さんに叱られる」
「冗談ぢやない。紅白粉で、裲襠うちかけを着た叔母さんがあつたまるものか。此方には人殺しがあつて二三人縛られかけて居るんだから、來て下さいよ、親分。何んの爲めに十手なんかブラさげて、江の島詣りをするんだい」
 女はまくし立てて、八五郎を引張るのです。高輪車町の巴屋といふのは、江戸の土産物も賣り、店では一杯飮ませて、中食もしたゝめさせますが、横へ廻ると立派な旅籠はたご屋で、土地も家作も持ち、車町から金杉へかけての、物持として有名な家でした。
 一昨日江戸を發つとき、巴屋へ押し上がつて、旅の前祝ひの大騷ぎをやらかし、二人の女中、お六とお梅といふのを、散々からかつたことは、八五郎も忘れる筈はなく、相手のお六も、品川から朝立ちで、江戸へ戻つて來た賑やかな旅人の中から、八五郎の長んがいあごを見付けたのも無理のないことでした。
「人殺しは穩かぢやねえ。誰がどうしたんだ」
「旦那が殺されたんですよ。金杉の竹松親分が乘り込んで來て、ギヨロギヨロめ廻して居るから、氣味が惡くて皆んな顫へ上がつてゐますよ。八五郎親分なら、地藏樣でも縛つて行つて下さるわねえ」
 三日前の晩の、羽目を外した騷ぎを知つてゐるので、お六はすつかり八五郎を甘く見てゐる樣子です。尤も、神田を發つたのは遲かつたにしても、馴染なじみがあるとか何んとか、仲間の者に誘はれて、高輪で宿を取つてしまひ、『おいとこさうだ』に『炭坑節』『トンコ節』から『東京ブギ』のたぐひまで踊つたり唄つたり、あらゆる醉態すゐたいを見せた一行の、オンド取りの八五郎が、お六に甘く見られたのも無理のないことでした。
 このお六といふのは、渡り者の大年増で、中低なかびく盤臺面ばんだいづらの、非凡の愛嬌者で、高輪の往來――遲發おそだちの旅人の、好奇の眼を見張る中から、八五郎をしよつ引いて、巴屋の店に飛び込むほどの勇氣と腕力を持つてゐたのです。
 入つて見ると、巴屋は表戸をおろしたまゝ、中の騷ぎは大變でした。主人山三郎は、裏庭のがけ下に、石の地藏樣を抱いたまゝ轉げ落ちて、その上、刺身庖丁さしみばうちやうで首筋を深々と刺され、更に、しまの前掛で顏を包んで、眞田紐さなだひもでその上を、耳から眼、鼻へかけて縛つてあるのです。
「おや、向柳原の八五郎兄哥あにいぢやねえか」
 暗い中から光つた眼は、金杉の竹松といふ、四十年配の顏の良い御用聞でした。
「金杉の親分ですかえ。江の島の歸り、騷ぎがあると聽いて覗きました。見せて頂くと、神田へ歸つて、錢形の親分に、飛んだ良い土産話になります」
 八五郎も近頃は、こんな世辭が言へるやうになつたのです。
「さうか、ふたも底もねえやうな殺しで、大方下手人の見當もついたやうだ。貝細工かひざいくよりは、氣のきいた土産になるかも知れないよ。見るが宜い」
 金杉の竹松はすつかり良い心持ちになつた樣子で、金壺眼かなつぼまなこを細めます。
 主人山三郎の死骸は、裏の一と間に納め、香華かうげだけは供へましたが、まだ佛前の用意も、入棺の手順もつかず、多勢の家族と奉公人と、町役人と近所の衆が、ザワザワと騷ぐだけ。
「幸ひと申しませうか、昨夜は一人も客がなく、――尤も此處は江戸の内と申しても、海道の入口ですから、泊りのお客は滅多にございません。奉公人達も早寢をして、今朝はいつも早起きの甲子松きねまつが、雨戸を開けて庭を覗くと、――主人が崖下の裏庭に轉げてゐたんださうで。前掛で顏を被つて、崖の中腹に建立こんりふしてあつた、地藏樣を抱いて、――」
 番頭の勘三郎は金杉の竹松に代つて、八五郎に説明してくれました。三十五六のこれはなかなかの好い男で、道樂強さうですが、ハキハキした口調から察すると、なか/\の働き者でもありさうです。


 八五郎が、明神下の平次のところへ、この報告を持つて來たのは、その日の夕方でした。
「石地藏と心中は、神武以來でせう。五十男の巴屋山三郎が、何んの物好きで――」
「待つてくれよ、八。山三郎は女房持ちだと言つたな」
 平次は問ひを挾みました。
「お瀧といふ五十前後だが、こいつは良い内儀ですよ。山三郎は入婿むこですが、内儀の若い時は、上り下りの客が、巴屋で休んで、お瀧さんの顏を見なきや、氣が濟まなかつたと言はれたくらゐで、尤も、その娘のお絹は十八で、こいつは、母親に立ちまさつたきりやうですよ。これも娘一人の跡取りだが、まだ婿もきまつてゐないさうで、身上しんしやうの爲には、その方が良いかも知れませんね。お蔭で巴屋は繁昌するばかり」
「話はそれつきりか」
「これが序開きで、本筋はこれからですよ、親分」
「巴屋山三郎は、人手にかゝつて殺されたに違ひあるまいが、下手人は擧つたのか」
 平次は先を急ぎました。八五郎の話術に附き合つてゐると、夜が明けさうです。
「大きな口をきいてゐるが、金杉の竹松親分ぢやらちがあきませんね。何しろ、娘が綺麗で金があつて、家の中だけでも、達者な男が三人もゐるし、下女のお六やお梅だつて、女には違げえねえが、華奢きやしやぢやありませんね。すると、差向き怪しいのが五人」
「その五人の樣子を、くはしく話して見るが宜い。神田で八を置いて、高輪の犯人ほしを言ひ當てるのも、洒落れて居るだらう」
 平次はお勝手へ合圖をして、一本晩酌をつけさせると、最合もあひ煙草の煙管を八五郎に渡して、面白さうに耳を傾けました。
 高輪の宿屋で、亭主が石地藏と心中をしたなどといふ種は、八五郎に言はれる迄もなく、江戸始まつて以來の珍捕物になりさうです。
「今朝、主人の死骸を見付けたのは、下男の甲子松きねまつですが、その時はもう、主人は冷たくなつて、喉笛の血も固まりかけて居たさうですから、こいつは、殺してすぐ騷ぎ立てたわけぢやありません」
「内儀のお瀧さんとかが、主人が夜半に脱け出したのを知らなかつたのか」
 平次の問ひは要領よく事件の核心かくしんに觸れて行きます。
「内儀のお瀧は、好い女で五十そこ/\で、家付き娘で、身體が弱い。かんたかぶると、そばに亭主が寢てゐても機嫌が惡いから、時々そつと階下したへ行つて寢るんださうです。内儀は二階で」
 さう言つた夫婦生活は、平次の常識では考へも及ばず、貧乏人には出來ないことですが、家が廣くて、暇があつて、ヒステリツクで、お綺麗だと、内儀のそんな我儘も時には許されるのでせう。
「昨夜もそれをやつたのか」
「尤も昨夜は、主人の方から言ひ出して、――用心が惡いから――とか何んとか、わけありさうに階下したへ休んださうです。夜半よなかに誰かと逢ふ約束でもあつたか、そこまでは内儀もわからなかつたさうです」
「その内儀は、夜半に誰か外へ出た者のあることに氣が付かなかつたのか」
「雨戸が開いたやうな氣がする――と言つてゐましたが、それも夢心地だつたやうで、それから暫くして、ドシンと物の落ちる音がしたやうだが、氣にも留めなかつたさうで」
「ところで、怪しいのが五人もあると言つたが、誰と誰だ」
「第一は番頭の勘三郎、三十五にもなる獨り者で、内儀の遠縁とかまた徒兄いとこに當ると言ひますから、主人の山三郎にうらみがないとは言へません。好い男で、若い頃は道樂がひどく、親類の餘され者だつたさうですが、姉のやうに世話になつて來た、巴屋の内儀に引取られて、今では神妙に帳場に坐つてをります」
「それから」
「死骸を見付けた下男の甲子松きねまつは、これは二十五六の、勝負事と喧嘩が好きで、用心棒には持つて來いのきもつ玉の太い男。こんな野郎も、何をするかわかりません。その上、十八になつたばかりの娘のお絹にぞつこんで、まるで夢中で見ちやゐられないとお六が言ひますよ」
「そのお六といふのは」
「高輪の旅籠屋はたごやの女中だから、宿場の飯盛ぢやありません。尤も顏に似氣なく良い聲で、唄が上手だから、上り下りの旅馴れた客にはよく知られてゐます。もう一人の女はお梅と言つて二十歳くらゐ、これは一寸樣子は良いが、しやくをするより外に能はありません。ところで、もう一人」
 八五郎は膝を進めるのです。


「あとの、もう一人が臭いやうだな」
 八五郎の話の先を潜つて、平次は言ひ當てるのです。
「その通りで、金杉の竹松親分も、こいつが一番怪しいと言ひましたが、一つも證據がないので、縛ることが出來ません」
「誰だい、それは?」
「主人のをひ――と言つても義理の甥なんださうで、かゝうどの與茂吉、二十二三の良い若い者ですが、少しばかり學があつて、筆跡が良いから帳面を預つてゐるが、これが何んと、江戸一番の腰拔けで、類のないほどの臆病者で」
「フーム、面白いな」
「面白かありません。あんなのは男のくづで」
「臆病にもいろ/\あるだらうが」
「與茂吉と來ては、底拔けの臆病ですよ。町内の若い者が集まつて、夏の晩などは膽試きもだめしをやりますがね。與茂吉は何んと言はれても、それに入つたことなし、からかつて人の惡いのが、與茂吉の顏を見ると、怪談を始める――湯屋の二階や髮結床でも、あわてて逃げて歸る。月爪さかやきを半分剃り殘しても驚くやうな與茂吉ぢやない」
「成程念入りだな」
「逃げやうのないところで怪談が始まると、冷汗を掻いて眞つ蒼になり、ガタガタ顫へ出すといふから大變でせう」
「フーム」
「二階に寢ると雷鳴かみなりが怖いし、階下したに寢ると地震が怖く、入口が近いと泥棒が怖いと言ふので、巴屋でも中二階の行燈あんどん部屋の片隅に、鼠のやうに息を殺して寢て居る」
「それほどの臆病なら、主人を殺す膽つ玉もないだらう。竹松親分は、妙なところへをつけたものぢやないか」
 平次は一應横槍を入れました。
「ところが、馬鹿が利巧さうな口をきゝ、利巧な奴は馬鹿見たいに振舞ふやうに、――それ、大賢愚に近し――とか言ふさうですね。あつし見たいに間拔けな面をしてゐる者は、しんが利巧だつたり」
「自分を引合ひに出すから世話ない。ヌケヌケとした野郎だ」
「善人がる奴は惡黨で、惡黨がる奴は、お人好しでなきや、薄馬鹿ときまつてゐるでせう」
「大層さとつたことを言やがる」
「竹松親分も言ひましたよ。三年前品川の問屋場に泥棒が入つて、役人を一人殺して千五百兩の御用金を盜んだのは、其處で働いて居る、一番臆病な、ガタガタ慶吉の仕業だつたとね。ガタガタ慶吉といふのは、ちよいとおどかしてもガタガタ顫へるからの異名いみやうだつたと言ひますぜ」
「成程、そんな事もあつたやうだな」
「竹松親分に言はせると、主人の死骸の顏に、前掛を被せたのは、下手人は臆病者で、死骸を見るのが怖かつたに違ひない――と言ふんです」
「成程、面白い考へだな」
「主人山三郎の石地藏を抱いて死んで居たといふ死に顏は、全く物凄いものでしたよ。下手人は、人を殺したものの、その死に顏に睨まれるやうな氣がして、有り合せの前掛を被せたに違ひありません」
「その前掛の持主は?」
「下女のお六のだから大笑ひで、夕方井戸端へ忘れて行つたものです。自分の前掛で、そんな事をする馬鹿はないから、お蔭でお六は下手人の疑ひから取りけられたやうなもので、――隨分嫌なことをする惡黨ぢやありませんか」
「さうも言へるな」
 平次は默つて考へ込みました。考へたところで、現場を見ない平次には、その考へを發展させる途もありません。
「まア、少しも召し上がらないぢやありませんか。八五郎さん」
 お靜はお勝手から覗いて、お銚子てうしの具合を見ながら話の腰を折りました。話が面白かつたので、銚子は一向にあきませんが、四邊あたりはすつかり暗くなつて、お靜は諦めたやうに、コトコトと夕餉ゆふげの支度をしてをります。


 その夜戌刻いつつ(八時)過ぎ、明神下の平次の家を叩いた女が二人ありました。
「八五郎親分はいらつしやるでせうか。高輪たかなわから參りましたが」
「何んだ、お六ぢやないか。大層改まつてどうしたんだ。――まア入れ、丁度宜いところだ。お前に教へて貰つた唄の文句だがね」
 取次に出た八五郎は、少し醉つてはゐましたが、この愛嬌者の唄の上手なお六が、昨夜の續きの、流行唄の節廻しでも教へに來たやうな錯覺に溺れて、他愛々々、猫ぢやらしの振事になつてをりました。
「それどころではありませんよ、親分」
「何んだえ、果し眼になると、お前でも飛んだ好い女だ」
「金杉の竹松親分が、たうとう與茂吉さんを縛つたんです。大の男が泣きながら引かれて行くのを、誰もかばつてやらないばかりでなく、笑つて見てゐるぢやありませんか。私は口惜しいから、甲子松きねまつに喰つてかゝると、お孃さんがすつかり喜んで、家中は、薄情者揃ひだけれど、お前一人が頼もしい、そこを見込んで一生のお願ひがある。淺草向柳原とやらの、八五郎親分のところへ連れて行つてくれ、あの人より外に、與茂さんを助ける人はないと、――あれ、あの通り、駕籠の中でも手を合せてゐるぢやありませんか」
 覗くと、路地の中、灯りの屆くか屆かないかといふところに据ゑた町駕籠の垂れをあげて、豊かな頬と、黒い髮と、さう言へばさうも見える、丸いあごの下に合せた、か細い白い手が匂ふのです。
「へツ/\、それほどでもねえが」
 拜まれて八五郎は少し照れた樣子です。
「向柳原で散々尋ねると、叔母さんといふ方から、明神下の平次親分のところへ行つてゐると聞いて來ました。聽けば、八五郎親分はお使ひ姫見たいなもので、捕物の御本尊は錢形の親分なんですつてね。――何が幸せになるかわからないものねえ、私も八五郎親分では、最初からたよりないと思つたけれど」
 お六の舌はよく動きます。
「俺といふ人間はお使ひ姫か、――まア、それには違ひないけれど」
「八、何をむくれてゐるんだ。路地で話もなるめえ、此方へ通すんだ」
 平次はたまり兼ねて聲を掛けました。
「さア/\ズイと通つてくれ。御本尊は逢はうと仰しやる」
 二人の女は、平次の狹い家に通りました。お靜はそれを迎へて、薄い座布團を出したり、七輪の下をあふいだり、いそ/\ととりなしてをりますが、話の繼穗を失つて、二人の客は暫らくは默つて潮時を待つてをります。
「さて、その話の續きを聽かしてくれ。與茂吉とやらが、どうしたんだ」
 挨拶拔きに、平次は話を引出しました。お六といふのは、摺れつ枯らしと純情と、侠氣をとこぎ自墮落じだらくを兼ね備へたやうな、この社會によくある型の女、不きりやうではあるが、八五郎が強調したほどみにくくはありません。
 その後ろに、寄り添ふやうに、少さく[#「少さく」はママ]身をすくめたのは、これは非凡な娘でした。吹けば飛ぶやうな、恐ろしく華奢きやしやな身體と、情熱的な表情的な大きな眼が、その多い髮と、小さい唇と共に、恐ろしく印象的です。
「與茂吉さんを縛るなんて、金杉の竹松親分も、モノがわからないにも程があります。暗くなると、一人で町の湯へも行けないやうな男、正直で、弱氣で、操り芝居を見てゐてさへ、殺しの場は見てゐられないやうな男が、自分の叔父さんを、殺すでせうかね、親分」
 お六は調子づくと、少しかさにかゝる癖があります。
「その與茂吉が、御主人を怨むわけでもあつたのか」
「それはもう、――金杉の竹松親分も、それを言ふんです」
「?」
「お孃さんは、巴屋ともゑやの一人娘でせう。そのお婿さんにする筈で、三年前に引取つた與茂吉さんを、ようやく年頃になると、あんまり氣が弱過ぎて、娘の婿にはたよりないと言ひ出し、何時まで經つても一緒にしてくれないばかりでなく、近頃は與茂吉さんを追ひ出さうとしてゐるんですもの、與茂吉さんだつて、そりや面白くないこともあるでせうよ」
「――」
「でも、あの人は、どんなに腹を立てても人なんか殺せるわけはありません。崖の下から、蚯蚓みゝずが這ひ出してさへ、高輪中に響くほどの騷ぎをおつ始める人ですから」
「外に、主人を怨んでゐる者はないのか」
「そりや人間ですもの、何處で怨みを買ふか、わかりやしません。ことに奉公人なんてものは、主人が良くして下されば良くして下さるにつけても、何んとか不足がましいことを言ふもので」
 この女は、なか/\の哲學を心得てをります。この二十五六の大年増、中低なかびく盤臺面ばんだいづらで、いささか肥りじしで、非凡の不きりやうですが、座持がよく唄がうまい外に、何んとなく一種不思議な魅力を感じさせる女です。
 話がうまいのは、明けつ放しで、機智ウイツトのあるせゐらしく、それにブチこはしなあけすけの程度にも、妙に程の良いところがあつて、相手の好奇心と好意とを、手一杯に引出す力を持つてゐさうです。
 成程こんな女のしやくで、高輪の宿に一と晩を明かしたら、江戸のトバ口で蔭膳を三日据ゑられるといふ、川柳の馬鹿もある程のことです。膝つ小僧が半分ハミ出すやうな、大肉塊のお六が、うした女だつたことが、平次にも面白い發見の一つでした。
「差當り家の中で、誰と誰が主人を怨んでゐたんだ」
「お孃さんの前では言ひにくいけれど、番頭の勘三郎さんだつて、隨分怨んでをりました。――遠縁でも何んでも、お内儀さんの親類に當るものを、少しばかりの費ひ込みでガミガミ言つたり、少々のほまちを、ほじくり出すやうにとがめ立てしたり」
「成程ありさうな事だな。下男の甲子松きねまつにはどんな事があつたんだ?」
「お孃さんに附け文したのを見付かつたんだから、――あの時は大變な騷ぎでしたよ。二十八にもなる大の男が金釘流を貼り出されて、半日油を絞られたんだから、氣の弱い者だつたら死んでしまひます」
「フーム」
 これは成程念が入り過ぎます。
「でも、そんなことで、主人を殺して磔刑はりつけ柱を背負はされるのは、隨分無算當なことぢやありませんか。甲子松は利巧な人間ぢやないけれど、根が良い男だし、番頭の勘三郎さんだつて、五兩や三兩くすねて、それを叱られたからつて、叔父さんを殺すほどの無分別ではない筈です」
「すると、お前は、家の中には下手人は居ないと言ふのだな」
「主人に地藏樣を抱かせたり、刺身庖丁さしみばうちやうで首を刺したり、そんな惡い人間が、私達と一緒に暮してゐるとは思はれません」
「その刺身庖丁は、巴家ともゑやのものか」
「お勝手は近かつたんですもの、其處から持出したにきまつて居ます」
「灯りはついて居たのか」
「昨夜はお月樣がよかつたでせう」
「でも、お勝手の庖丁を搜すのは、外から入つた曲者ではむづかしいよ」
「でも案内を知つてる者なら、出來ないことはありません」
 お六の答辯は、ハキハキとして何んの澁滯もありません。
「あとは、お梅といふ女がゐる筈だが」
「ありや、お話になりません。ちよいと良いきりやうで、お客受けは良いけれど、氣がきかなくてぼんやりで、右向けと言へば、三日も右に向いてゐさうな人ですもの、でもちよいと氣の知れないところはあるが――」
 ヌケヌケと朋輩の惡口を言ふのも、お梅をかばふ氣の親切かも知れません。


 平次と八五郎は、その夜のうちに、高輪に向ひました。留守は隣りの女房に頼んで、近いところから駕籠を二梃、女二人の乘物を中に挾んで宙を飛びました。
 巴屋はお通夜で、まだ客が殘つてをりました。事件の形相ぎやうさうが、どうやらむづかしさうなので、平次はいつもの流儀で、湮滅いんめつさせられる前に證據をかき集め、それを有機的に組立てて、夜の明けぬうちにらちをあけようとしたのです。
 巴屋では、娘のお絹と、下女のお六が見えなくなつて一應はあわてましたが、内儀のお瀧が事情を心得てゐるらしいので、靜かにその歸りを待つてゐる姿でした。乘物は場所柄だけに、高輪の立場から出したもの、別に案ずるほどのことはなかつたわけです。
 店口の賑やかのを嫌つて、平次は裏からそつと入りました。お六は心得て小座敷に通し、二階に引つ込んだばかりの内儀のお瀧を呼んで來てくれました。
「ま、まア、錢形の親分さんを」
 お瀧はイソイソと降りて來て、平次の勞をねぎらひます。夜更けのことではあるが、客あしらひになれて、なか/\の應對です。
「飛んだことでしたね。お孃さんに泣かれて神田からやつて來ましたが」
「有難うございます。飛んだ我儘を申しあげて、――ところが、宜い鹽梅あんばいに、與茂吉は、許されて戻りました。娘のことで、主人を怨んでゐるといふ外には、疑ひやうはなく、――歸されると直ぐ、お通夜の皆樣のお相手をしてをります」
「それは宜い具合でしたが、あとで金杉の竹松親分に聽くと、お六の言つたことが本當だつたとわかつたさうで」
「お六の言つたこと?」
「與茂吉が縛られて行くとき、――お六が竹松親分を追つかけて、――與茂さんは、昨夜私と逢つて一と晩過したから、主人を殺すひまなどがあるわけはない、――今までそれを言はなかつたのは、お互ひの内證事だし、與茂さんはあのとほり臆病で、きまりを惡がつて言へなかつたに違ひない――と斯う言つたんださうで」
「成程それは確かな證據だ」
「あとで、お梅に訊いて見ると、お梅も昨夜お六さんはひと晩自分の部屋にゐなかつたと言つたさうで」
「――」
「その代り、金杉の親分は、番頭の勘三郎を縛つてしまひました。勘三郎の荷物を調べると、この間から主人が盜まれたと言つてゐた五十兩の小判が、泥のついたまゝ、ボロきれに包んで、行李かうりの底に隱してあつたんです」
「それは?」
 斯うなると、途中から顏を出した平次は、口のきゝやうもありません。
 兎も角も、灯りの用意をさせて、現場を見ることにしました。旅籠屋を兼業してゐるだけに、お勝手も廣々として、其處には大勢の人が立ち働いて居りますが、其處から障子を一枚開けると、裏は車町のがけになつてをり、二間ほど高いところに、さゝやかな地藏堂が建ててあり、屋根だけいた、怪しい崖の上に、三體の石地藏樣がましまし、その一番大きい中の一體が、崖の下に轉がり落ちて、巴屋の主人のさん三郎の身體を、ギユウと押し潰すやうな恰好になつてゐたといふのです。
 地藏樣は巴屋の地内に建立されたものですが、崖上は幾つかのお寺と御家人屋敷で、信心の方は、上から崖道を辿たどつても、お詣りが出來るやうになつてをります。
 この崖の上から、何にかのはずみで、地藏樣を抱いて落ちたとしたら、成程無事では濟まなかつたでせう。下に落ちて居る地藏樣はざつと五六十貫、一人や二人の力では動かせさうもありません。
 地藏樣の臺座の下は、土龍もぐらの穴のやうに深々と掘れてあり、この中を搜つたはずみで、臺座のゆるんだ地藏樣が、下に轉がり落ちたと思へないことはありません。
 現場を一と通り調べた平次は、お勝手口のあたりを丁寧に見て廻り、今朝甲子松きねまつが開けたといふ雨戸を指摘させました。甲子松といふのは、二十八とかで、たくましい感じのする良い若い者で、客の立て込んだ時は、板前の仕事も引受けるといふ調法ものです。
「今朝、一番先に開けたのは、この雨戸です。すると、がけが一と眼で、崖の下に御主人が倒れてゐるのまで、よく見えました」
 ボソボソとした感じです。
「主人は前掛を被つてゐたさうだが、外に變つたことはなかつたのか」
「前掛を取ると、口の中に生じめりの干物ほしものが一パイ詰めてありました」
「それは?」
「前の日お六どんが洗つて、井戸端のたらひの中に絞つたまゝはふり込んであつた、肌着類でした。お六どんは、ヒドく怖がつて、直ぐ洗ひ直しましたが」
「それから、刺身庖丁は」
「いつもお勝手に置かてある道具で、私もよく使ひますが、切れ味の良い庖丁です。――その庖丁で喉笛のどぶえを切られて、庖丁はそのまゝ、死骸の側に捨ててありました」
「では、佛樣を」
 平次は井戸端をそれくらゐにして、家の中へ入つて、一應通夜の衆を退かせると、入棺にふくわんしてある佛樣を調べました。
 巴屋山三郎は、五十五六の、月代さかやき光澤つやの良い、立派な中老人でした。少し脂ぎつてをりますが、喉の傷は右へ深く左に淺く前から抱き付くやうにゑぐつたものらしく、血は拭き清めて、經帷子きやうかたびらの下には、石地藏を抱いたせゐか斑々たる皮下出血です。


「錢形の親分さん、ちよいと」
 平次は呼び止められて、暗い廊下に立ち止りました。
「何んだ、お六ぢやないか」
「安く扱はないで下さいな。私は良いことを知つてるんだから」
「良いこと? 何んだいそれは?」
「まア、大きい聲。――此方へ來て下さいな。誰にも聽かせ度くないことなんだから」
 お六は平次の手を引つ張つて、小さい部屋に押込みました。旅籠屋も兼ねてゐる巴屋には、思ひも寄らぬところに、思ひも寄らぬ小部屋があります。
「何んだい、聽かうぢやないか」
「番頭の勘三郎さんのことですよ。あの人は、江戸一番のいけ好かない人だけれど、主人殺しの下手人にされちや可哀さうよ、――隨分惡いことをする人だけれど、磔刑柱はりつけばしらを背負ふほどの惡黨ぢやない」
「?」
「五十兩の小判を持つてゐて、それに生濕なまじめりの土が附いてゐたから、金杉の竹松親分に縛られたのも無理はない。あの人は道樂がひどいから、五兩とまとまつた金を持つてゐる筈はないけれど、あの五十兩だけは、別よ」
「?」
「今朝私が、この眼で見たんですもの。明るくなつてから、皆んな御主人の死骸を家の中に運び入れて大騷動をしてゐると、番頭さんは、崖の上へ登つて、地藏樣の臺座の下の穴へ手を入れて、何やら搜してをりましたが、間もなくかめに入れた小判を見付け出し、瓶を叩き割つて、泥の中に落ちた小判を、かき集めた樣子でした」
「お前はそれを何處で見てゐたんだ」
「二階の窓から、皆んな見てしまひました。間違ひありませんよ、親分」
「主人を殺して、あとで金を取出したかも知れないぢやないか。それだけのことで、勘三郎は主人殺しの下手人でないとは言ひきれないよ」
「でも、御主人が殺されたのは、昨夜の夜半でせう。主人を殺したのが番頭さんなら、夜が明けて、あたりが明るくなるまで、五十兩の大金をはふつて置く筈はありません」
 お六の話は妙に自信に充ちて居ります。
「――」
「金を盜る氣で御主人を殺したものが、あの臺石の下の穴に氣がつかずに居るでせうか」
「待つてくれ、お前は妙に理窟強いところがある」
「でも、何んにも知らないものが、出來心で穴の中から五十兩見付け、それを隱したばかりにお處刑しおきになつちや可哀想ぢやありませんか」
「それぢや訊くが、このうちで、左利きは誰だ」
 平次は新しい問ひを持出して、さり氣なくお六の返事を待ちます。――それは緊張した一瞬ですが、お六の答へは案外にも無造作です。
「下男の甲子松きねまつよ。あの人は板前もやるので、右刄の庖丁では使ひ難いと言つて、出刄庖丁まで、わざ/\左刄のを作らせてゐるくらゐですもの」
「それだツ」
 平次は小膝を叩きました。
「何がそれなんです?」
「主人を殺した下手人は、間違ひもなく左利きの人間だよ」
「?」
「主人は何にかの都合で――多分、あの五十兩の小判のことで地藏樣の臺座の下を搜したことだらう。ところが、地藏樣のすわりが惡いので、地藏樣を抱いたまゝがけの下に轉がり落ちた。多分氣をうしなつてウメキ聲を出したことだらう。曲者は洗濯物でその口をふさぎ、側にあつた前掛で口を縛つた上、お勝手に驅け込んで刺身庖丁を持出し、左さかさに持つて、後ろから手を廻し、一氣に主人を殺して、ウメキ聲をとめさせた」
「――」
「主人の傷は、右に深く左に淺い。下手人は左利きの證據だ――この家の左利きは甲子松だとすると」
 平次は次の活動の氣持になつた樣子です。下手人は臆病與茂吉でなく、番頭の勘三郎でないとすると、左利きの甲子松でなければなりません。
「待つて下さい親分。甲子松は少し馬鹿だけれど、親切な良い男です。あの人が主人なんか殺せる筈はない。――江戸には何百人も何千人もの左利きかあります。現に、この家だけでも、この私も左利きなんですもの」
「何んといふことだ」
 さすがの平次も二の句が繼げませんでした。この女には、全く叶はないと言つた心持です。
「でも、隱せることぢやないんですもの、家中の者は皆んな知つてますから」
 お六はさう言つてわだかまりもなく笑ふのです。
「もう宜い、もう一度振り出しからさいを振つて見よう」
「それが宜いでせう。でも、私もう一つだけ教へて上げ度いことがあります」
「何んだいそれは?」
「あの地藏樣へは、裏のお寺の境内から、誰でも樂に來られるといふこと」
 お六はさう言つて思はせ振りに愛嬌の良い顏を、ちよいとかしげるのです、恐ろしく不きりやうな癖に、この女には、何んとも言へぬ魅力があります。
「さうか。俺も一つ、面白い事を知つてるよ」
「?」
「地藏樣の臺座の下に、大きな穴があつて、その中に小判が隱してあつたと――お前は言つたが、地藏樣の臺座の下には、二つの穴があつたのだよ、前と後ろに。前の穴は空つぽだつたが、後ろの穴には瀬戸物の破片かけらが一パイ詰つて居たよ。勘三郎が小判を搜し出したのは、多分後ろの方の穴に違ひあるまい。人殺しの謎は、この邊から解けて行きさうだよ」
「さうでせうか」
 平次の自信あり氣な言葉を、お六は輕く聽き流しました。


 間もなく、番頭の勘三郎も、番屋から歸されました。金杉の竹松親分も、後から/\と出て來る反證に、一人々々縛つた繩を解かされ、すつかり腐つてしまつた――と、これは町役人達の噂です。
 勘三郎が戻つて來ると、平次はそれを一と間に呼んで、何やら沁々しみ/″\話してをりましたが、やがてもう一度裏へ出て、崖の上から下、井戸端のあたりを、提灯をつけて念入りに調べ始めました。
 夜は次第に更けて行きます。お通夜の人達も大半は歸つて、佛樣の前にはほんの少しばかり殘るだけ、通夜の小僧が、時々眠さうにお經をあげてをります。
「お六、ちよいと來てくれないか」
 平次はその中で何彼と立働いてゐる、下女のお六を呼出しました。
「何んでせう親分。皆んなの疑ひを私が解いてやつたのに、まだ何んかわからない事があるんですか」
 後ろから面白さうについて來るお六。
「まア、あれを見ろ」
 暗い廊下に立つて、平次は唐紙からかみの隙間を指さしました。中からは噛み殺したやうな激しい嗚咽をえつの聲が聽えます。
「?」
「まだわからないのかお六。――お前は、昨夜、臆病與茂吉と逢引して居たと言つて、あの男を助けた。そいつは結構な功徳くどくだが、見るが宜い、――それを聽いて、あの生一本の娘――お孃さんのお絹さんは、死なうとして、危ふく母親にとめられたのだ」
「――」
「與茂吉は助かつたが、十八になつたばかりの、あの娘を殺しちや、お前は氣がすむまい。――此處で、みんな正直のことを言つてしまつてはどうだ」
 平次は暗い廊下に立つたまゝ、お六の圓い肩を叩くのです。
「どう言へば宜いんでせう、錢形の親分」
「ありのまゝで宜い。――お前はついでに自分の命も助け度さに、與茂吉とひと晩一緒にゐたと嘘をついて、與茂吉の命を助けた」
「――」
「俺は、内儀と勘三郎から、皆んな聽いたよ。――賢こい中年女は、何んにも知らないやうな顏をしてゐるが、實は何から何まで知つてゐるものだ。――主人のさん三郎さんは、物の迷ひで、お前といふ女に手を出した。あんなに立派な内儀はあるが、内儀は綺麗過ぎ、賢こ過ぎ、それに身體も丈夫でなく、山三郎の氣に入つてばかりはゐなかつた。浮氣者の主人はお前といふ大變者に手を出して、長い間に、五十兩といふ大金を絞られた」
「――」
「その金を茶壺ちやつぼに入れて、裏のがけの上の地藏の臺座の下に隱して二人相談の上、いつかは取出さうとしてゐたが、――番頭の勘三郎はそれを嗅ぎつけて、臺座の前の土中から掘出し、臺座の後ろに埋め替へた」
「――」
「昨夜、主人とお前は地藏樣の臺座の下から、茶壺の小判を掘出しに行つたが、其處には小判はなかつた。主人とお前は喧嘩になつた。どつちも相手が隱したと思ひ込んだのだ。主人はその喧嘩にはずみがついて、石地藏樣を抱いて崖の下に轉がり落ちた」
「――」
「夢中でわめくので、お前は洗濯物で口をふさぎ、自分の前掛でその上から蓋をした――がまだ聲を立てるので、お勝手にあつた、刺身庖丁で、主人の喉を切つてしまつた」
「あの人は怒鳴りつゞけた――そして助かりさうもなかつた――殺してくれ、頼むから殺してくれと言つた」
「お前は主人を殺してしまつた。その下手人の疑ひが臆病おくびやうな與茂吉に行くと、お前はそれが可哀さうになつた。――丁度店の前を八五郎が通つたので、お前に小唄を教はつた間拔けな男が御用聞だつたことを思ひ出して、それを呼び込んだ、――その八五郎の背後うしろに、俺が居ることに氣がつかなかつたのだらう」
「親分、私は、私は」
「お前は自分のしたことが恐ろしかつた。お孃さんにせがまれて明神下へ來たり、勘三郎や甲子松きねまつが疑はれると、あわててそれも助けてやつた」
「私は、私は」
 お六はみにくい顏を引歪ひきゆがめて、聲を殺して泣くのです。
「主殺しは磔刑はりつけだ――が、お前は磔刑柱の似合ひさうな顏ぢやない。――俺は一と晩考へよう。お前といふ人殺し女を、どう始末したものか、逃げたり隱れたりするんぢやないぞ。おい、――明日は」
 平次はさう言つて通夜の人數の中に立ち交つてしまひました。
 その夜のうちに、あの唄のうまいお六は逃げ出してしまひました。高輪たかなわの巴屋は名物を失ひましたが、臆病者の與茂吉が、綺麗なお絹の婿になつて、又新しい名物にされたことは言ふ迄もありません。





底本:「錢形平次捕物全集第三十四卷 江戸の夜光石」同光社
   1954(昭和29)年10月25日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋新社
   1954(昭和29)年5月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2017年1月12日作成
2017年3月4日修正
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