錢形平次は久し振りに田舍祭を見物に出かけました。
宿は北見の三五郎、義理堅い良い目明しでした。この邊は伊奈半左衞門の支配で、江戸の眞ん中と違つて、事件は少ないやうです。が、人間と人間の關係がうるさいので、實際
それは兎も角、平次が着いたのは祭の前日の晝過ぎ。
「まア/\一つ、お
と、三五郎は呑ませる工夫ばかり、尤も、北見の三五郎、中年者の
× × ×
五里近い道を歩いて來て、すつかりくたびれたところへ、
「放つて置かうよ。鼻から
平次は三五郎とその子分達を
それから二た刻あまり、八五郎は
「おや?」
窓の半分を明るくした、秋の夜の月明り、
「江戸の親分樣」
か細い聲が呼びます。影法師が搖れると、
「俺に用事かえ、
八五郎は起ち上がりました。甚だ
「お願ひでございます。江戸の親分さん、私は殺されかけて居ります。どうぞ、お助けを――」
女は月に濡れて、ワナワナと
「冗談ぢやねえ、俺の方が取り殺されるかと思つたよ。――見たところ、二本の足も滿足に揃つてゐるやうだ。相手が人間の女の子とわかれば、逃げも隱れもするわけぢやねえ。一體俺に、どんな用事があるのだ」
八五郎も
「私はこの隣りの酒屋の者ですが――」
北見の三五郎の隣りの家といふのは、この土地でたつた一軒の大きな酒屋で、それが地主でもあり、金持でもあり、太田屋
主人の易之助は、三五郎のところへ平次と八五郎が來ると、早速呼び寄せられて、江戸の高名な御用聞と近づきになり、三五郎と三人連れ立つて、村祭の宵宮に出かけ今は留守の筈です。土地へ來ると直ぐ、八五郎もその噂をきゝ、醉ひつぶれる前に三五郎に紹介されて、口もきゝ、盃も取り交した間柄です。
「それぢやお前さんは、太田屋の御主人の妹の
「いえ、違ひます。お綺麗なのは納さんで、私は
「お、お内儀のお縫さんか、それも大層綺麗だと聽いたが」
旅に出ると、八五郎も斯うお世辭がよくなるのでした。
「私なんか――飛んでもない」
さうは言ふものの、お縫も包みきれない嬉しさを、兩手の袖で、
「ところで、誰がお内儀さんを殺さうと
八五郎はザツと人別(戸籍)を明らかにした上、お縫に問ひかけました。もう酒の醉ひも醒めてしまつて、月の光の中に細々と佇んだ、内儀の身體にも露を置きさう。祭太鼓の
内儀のお縫の話は、まことに取りとめのないものでした。それによると、近頃村へ來た
「御新造、まア
とすゝめられ、ついその氣になつて、人相手相から、身の上運勢を判斷して貰ふと、これが大變でした。天惠といふ易者、本人は古風に陰陽師と言つてるのですが、――その言ふことには、
「お前さんの家に、全く同じ歳の女が二人居ないか。この
といふ恐ろしい警告だつたのです。その殺すか殺されるかの最後の日も、決して遠いことではなく、年内、いや/\、この月のうちにも、二人の運勢の勝負はきまるだらう、どちらか一人は一日も早く身を退くやうに、といふのでした。
内儀のお縫と、
村の祭の宵宮は、近郷へも聞えた賑はひで、村中の者は殆んど總出でした。留守番の有るなしは、田舍の人はあまり問題にもしなかつたのです。
その中で内儀のお縫は、頭痛がするからと言つて、たつた一人家に留りました。尤も、同じ家の
「そいつは、俺にも見當はつかないよ。八
八五郎は、お座なりを言ふのです。八卦屋さんを相手では、喧嘩にも角力にもなりません。
お縫はしを/\と歸りました。細つそりした肩、
やがて、夜半も過ぎました。踊りの太鼓や笛は、容易のことでは止みさうもなく、夜更けの大氣をかき亂して傅はりますが、年寄りや子供や明日用事のあるものはさすがに家路を急ぐらしく、田圃の中を、ザハザハと一ときは人の話聲が傅はります。
間もなく、錢形平次も、宿の三五郎も、その子分達も戻つたらしく、家の中が急に活氣づいて、隣りの聲までが、賑やかに聽えて來ました。
「今夜の踊りは面白かつたが、あんまり面白いのでお化けまでが浮れ出て、田圃の中で、見越の
子分達の話が、八五郎の寢呆けた耳にも、よく響きます。
「そんな間拔けなものが、この邊に居るわけはないぢやないか」
親分三五郎の分別臭い聲です。
「親分はさう言ひますがね、盆踊りの途中で、途中から歸つたのや、用事の都合で遲く來かけた者が、田圃の
と、子分は指を折つてるのです。
「そんな話を、錢形の親分に聽かしちや、村の耻になるぢやないか」
「でも、白いフハフハした大入道が、風のやうな早さで飛ぶんださうで」
子分達もなか/\敗けては居ません。が、その時でした、隣りの太田屋で大變な騷ぎが始まつたのです。
「親分さん方、ちよいと、お願ひ」
酒屋の太田屋の下男半助といふ中年男は、
「どうしたえ、半助さん」
親分の三五郎が飛んで出ると、
「留守の間に、
半助は息もつけません。
「納さんが、死んで居た」
「
兎も角も、變死に違ひないらしく、半助のあわてやうは一と通りではありません。
「よしツ、直ぐ行くぞ、――錢形の親分、お聽きの通りだ。
三五郎は支度をしながら、平次を誘ふのです。
「よし來た。丁度八の野郎も居るから行つてみよう」
忽ち八五郎も叩き起されて、總勢五六人、夜討ほどの勢ひで隣りに行つたのは、やがて、
太田屋の騷ぎの中で、一番落着いてゐるのは主人の
「若い者と一緒に、私も踊りを見物して、ツイ
案内された離屋――と言つても、
年の頃は――いやこれは内儀のお縫と同じ年の二十二、お縫と違つて、豊滿な感じのする、美しい年増でした。一度縁付いて亭主に死に別れ、姉の嫁入先に轉げ込みましたが、その姉も死んで、今は後添への世界になり、とかく暮らし難いその日を暮して居たのでせう。
「おや、書置きがありますぜ」
見つけたのは八五郎でした。死骸の下の布團から、三角に喰み出した白い紙、引拔くと幸ひ血潮にも汚れず、
「床の下に敷いて三角に耳を出したのは、なるほど書置きの隱し場所としては、うまい考へだね」
八五郎は感心するのです。
書置きの文句は、まことに平凡なものでした。自分の身の不幸をなげき、この上は生きて行く張合ひもないから、自害して相果てる、皆樣にはお詫びの申上げやうもなく、わけても兄上には、長い間の御恩にも
「遺書がありや、言ふことはないだらう。もう夜のあけるのも間があるまい。お
三五郎はもう引揚げの支度をして居ります。
「おや、まだ、踊りの太鼓が聽えて居るやうだ。若い者といふものは、仕樣のないものだな」
三五郎が年寄り染みたことを言ふと、
「さう言へば、家の伊三郎もまだ戻つて來ませんよ。夜の明けるまで踊るつもりでせう。あれは笛も吹ける上に、
主人の安之助は苦々しく言ふのです。
さう言ふ伊三郎は、噂をすれば影のやうに、ヒヨツコリ戻つて來ました。
「を、納さんが、自害? 飛んだことで、――」
いざり寄つて、死骸の所に据ゑた
「ちよいと、これは變じやございませんか、皆さん」
伊三郎は顏を擧げて、拜んだ
「何が變だえ、
三五郎はそれに應じました。
「自害をしたもの――ことに喉笛を切つたものは、後ろへ反るものですが、これは女だてらに
端座して喉を切つても、反つくり返るのが自然で、兩膝を帶か
「伊三郎どんとか言つたね、宜いところへ氣がついてくれたよ。お前がさう言つてくれなければ、佛は殺され損になつて浮ばれなかつたことだらうよ」
三五郎の後ろから平次が應じました。そして、チラリと八五郎を振り返つて、何やら耳打ちをすると、八五郎は早くも平次の氣持を察したらしく、
「それほどでもありませんが」
伊三郎は極り惡さうに首筋を掻くのです。
「外に氣のついたことはないのか伊三さん。俺が見ると、持つて居る
「親分は? さう言ふ親分は」
伊三郎は目ばかりパチパチして居ります。
「神田の平次といふものだよ」
「あツ、近頃評判の錢形の親分」
「さア、後を續けてくれ。お
「では申しますが」
伊三郎はさう言ひながらも、ひどく澁つて、モヂモヂして居ります。
「さア、話してくれ、伊三さん」
「この書置きは、
「何んだと」
「納さんは綺麗な字を書きました。こんな右下りの、イヤな字ぢやございません」
「それは本當か」
「私は嘘を申しません。皆んなに訊いて下さい」
「よし、わかつた。それぢや、この遺書は誰が書いたのだと思ふ」
「それはどうも」
伊三郎は其處までは言はうとしません。
が、それには及びませんでした。家中の者の顏色と話と、内證の囁きを綜合すると、それは何んと、内儀のお縫、――殺された納と同じ年の、この家の中に、敵同士のやうに睨み合つて居る、兄嫁のお縫の
太田屋の家の中の空氣は、一瞬にして變りました。氣性者の
三五郎の子分達はいきり立ちました。日頃は隣りに住んで、口もきゝ、世話にもなつて居る太田屋の内儀ですが、人殺しの下手人とわかると、職業意識はまた別に働くのです。
「待つて下さい。お縫はそんなことの出來る女ぢやございません」
主人の
「御主人、これには、いろ/\わけがありさうだが、三五郎親分は、お隣りだけに調べ難いといふから、あつしが万事を引受け、夜の明けきらぬうちに、
平次は主人の易之助を一と間に呼び入れ、差し向ひになつて斯う話しかけるのです。
「へえ、よくわかりました。不審なことがあつたら、何んなと訊いて下さい。皆んな申上げませう」
「その氣なら、遠慮のないところを訊きますが、第一、殺された
平次の第一の問ひはまことに尋常です。
「あの氣性者ですから、ないとは申されませんが、縁付いた先の夫は死んで居りますし、一時は手代の伊三郎が、
「で、この家で、
「死んだ納は手の良いのが自慢でした。あとは、手代の伊三郎くらゐのもので、家内と來ては、全く
「御内儀と
「それはもう、同じ年の女と女が、一つ家の中に住んでゐるのですから、仲の好い筈はありません」
「お孃さんとは?」
「あの
「有難う。
平次は其處へ内儀のお縫を呼んでもらひました。
「どんな御用でせう、親分さん」
江戸の御用聞の前に引出されて、細々とした内儀は、心持顫へてさへ居るのです。
「内儀さん、隱さずに皆んな話して下さい。お前さんは、大事な瀬戸際に立つて居るのですよ。殺された納さんの床の下から出た遺書は、誰が見ても、内儀さんの
「私は何んにも存じません。私の
一應さう言つてから、
「その八五郎に逢つた時刻は?」
「
その、あの方なる八五郎は、平次の旨を受けて、盆踊りの現場へ飛んで行つたのです。
「伊三郎がお孃さんの
「でも、あの伊三郎といふ人の氣は知れません。
「それからどうしました。大事のことですよ、皆んな言つて下さい。決して人に漏らすやうなことはしません」
「私は隣り同士で育つて、あの人の氣性もよく知つて居りますが――」
「それからどうしました、――三五郎の子分達はあの通り、内儀さんを縛るつもりで居ります。氣の付いたことがあつたら、隱さずに」
「――」
お縫はそれでも思ひきつて言ひ兼ねたらしく、
「あの、私はもう、頭痛がして」
室の外へ滑るやうに、逃げ歸つてしまつたのです。
平次はそれを追うわけにも行かず、もとの部屋に引つ返しました。其處では三五郎とその子分達が、家中の大福帳、手紙日記、書出し、など、いろ/\のものを集めて、筆蹟の鑑定に夢中でした。
「錢形の親分の言つた通り、家中の者の書いたのを集めて、この通り比べて見たが、右下がりの下手な字を書く者は、内儀のお縫さんの外にはないぜ。この通り小遣帳があるが――」
内儀の小遣帳といふのは、半紙五六枚を四つ折に
「外の人の書いたものもこの通り揃つて居るが、――手代の伊三郎は手習ひに熱心で、隨分
大福帳の左下がりの字、それは手代の伊三郎の書いたもので、左上がり右下がりの、書置きの字とは、全く反對の勾配です。
「恐ろしく反古を拵へたものだな。おや、おや、――これを
平次は二三枚の反古紙を、灯に透して三五郎に見せました。
「成る程、透して見るともとは皆んな右肩が下つて居るね。その上を左肩の下つた字で、眞つ黒になすつて居る」
「右肩の下つた字を、
平次と三五郎は顏を見合せました。右肩の下がつた字をうんと書いて、その上を左肩の下がつた字で眞つ黒に書きつぶすのは、何にかわけがなければなりません。
「その手代の伊三郎を見張つてくれ、逃しちやならねえ」
平次の聲に應じて、三五郎の子分が三四人、バラバラと驅け寄つて、伊三郎の手を取りました。
「冗談なすつちやいけません。私は何んにも知るわけはない。一と晩あの森の中で、踊りを踊つてたつた今戻つたばかりぢやありませんか」
さう言へばその通りで、伊三郎がひよつとこの面を冠つて、手振り面白く踊つて居たのは、子分衆も皆んな見て居ることです。
「えツ、神妙にせい、お前でなくて、誰が
平次もツイ乘り出した。江戸の御用聞の口を出す場所ではないのですが、三五郎の子分達は、伊三郎に言ひ負かされて、顏見合せて尻込みをするのです。
「違ふ、違ふ、私ぢやない。私は踊りの輪を拔けなかつた。――皆んな知つての通り、ひよつとこの面を冠つて、一と晩踊り拔いて居たので」
「いや、そんな筈はない」
「錢形だか何んだか知らないが、江戸の外へ出て、そんな口はきいて貰ひ度くない。私は、踊つて踊つて踊り拔いてゐた」
伊三郎は
「さう言へば錢形の親分、――ひよつとこは一と晩踊り續けて居たぜ。小用くらゐは行つたかも知れないが、煙草三服の間も踊りの輪を拔けなかつたやうだ、――拔けたのは笛の玉吉だけ、
三五郎も、隣り同士の伊三郎のために斯う言ふのでした。
「その笛の玉吉といふのは?」
「ツイ二三軒先の男だ。
「連れて來てくれ」
平次のかんは見事でした。盆踊りに笛のないのは、
間もなく、笛の玉吉といふ、少し甘さうな五十男が引つ立てられて來ました。
これは二つ三つ三五郎に脅かされると、
「伊三郎さんに頼まれて、ほんのちよいと、ひよつとこの面を冠つて、踊りの輪に入つて踊りましたよ。その間笛が拔けたわけで、――
玉吉の言ふのはまことに伊三郎のためには致命的でした。
「嘘だ、嘘だ、俺はそんな事を玉吉に頼んだ覺えはない。第一、あの森から此處まで、夜つぴて人通りは絶えなかつた筈だ。人に見とがめられずに此處へ戻つて、そんなことが出來るわけはない」
伊三郎は必死と抗辯するのです。
が、その抗辯も、八五郎が戻つて來て、それつきりに封じられてしまひました。
「親分、さすがに目が高けえ。踊りの輪の外に燃えて居る
八五郎は燃えさしの竹馬を振り廻して、すつかり良い心持にわめくのです。
「それだ/\。その三尺もある竹馬に乘つて、白い巾でも冠つて田圃道を飛んで歩くと、夜道を通る人は天狗か見越しの入道と間違へる。さア、伊三郎、この竹は何處から持出したか、
平次が言ふと、さすがの伊三郎、ヘタヘタと大地に崩折れて、
「――」
無言のまゝ――に二つ三つお辭儀をするのです。
× × ×
下手人の伊三郎を三五郎に引渡し、翌る日のお祭を見物して、平次は神田へ引揚げました。道々、
「伊三郎の惡る
八五郎は斯んなことを言ふのです。
「そいつは有難いが、思し召しだけで澤山だよ。お
「その通りですよ。どうして親分は、それを?」
「内儀の顏と樣子で覺つたのさ。その伊三郎が、
「その晩錢形の親分が隣りに泊つて居ることは伊三郎も氣がつかなかつたんですね」
道はもう江戸に入つて居りました。此處でも秋祭の太鼓の音が、何處からともなく響いて居ります。